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2016/05/30

ゆう爺より

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「おもき心」
外国のひとからうらやましがられる日本とは。
小さな国でありながら工夫をして生き抜いていく努力を惜しまない国。
世界に類がない265年という長い年月、平和な国家が続いた江戸時代。その中で根付いた日本の宝である心、文化。
言葉は、漢字・ひらがな・カタカナと使い分けて表現していく。
着物文化に象徴される美的感覚、型紙のデザインだけでも数十万あるでしょう。世界が認めるデザインの国。
四季折々の自然の変化、われわれ日本人は恵まれた環境の中で、もう一度日本人としてのほこりを思い出す時が来たのではないでしょうか。
 江戸時代に草主人従(そうしゅじんじゅう)という言葉があります。自然が主で人はそれに従うという自然の尊さ、人の謙虚さを表現しています。

ほっておけばどんどん消えていく日本人の誇れる「心」(おもいやり・もてなし・きくばり)。この「三つの心」の頭文字造語で「おもき心」と作りました。
おもき心」とは、おもいやり・もてなし・きくばりの心です。
 ・おもいやり「純粋な心でするさま」
 ・もてなし「心を持って成し遂げる」
 ・きくばり「人への心づかい」

我々はもう一度、先人が残してくれた心を思い起こし、外国の方から常に尊敬される日本人でありたいと思います。
江戸しぐさは、人を知る一歩になるのではないかと思います。

江戸しぐさとは
 芝三光(しばみつあきら)が、小さい頃から、祖父母や近所のご年配の方などから聞かされた、江戸時代の生活の知恵を書き記した残し文を、まとめたものが「江戸しぐさ」です。「江戸しぐさ」という言葉は、昭和49年に出来た造語です。江戸時代以降の町民の、ものの考え方に一番ふさわしい言葉だろうと考えられたのです。

一般社団法人芝三光の江戸しぐさ振興会とは
 芝三光(しばみつあきら)の利き書き(ききがき)で残された江戸人の生活に関わる資料を基に作られた「江戸しぐさ」。日本の文化であろう江戸人が口伝として伝えられたものを、我々日本人としては引継ぐ義務があるのではないかと思っています。そして、少しでも多く、後世まで残していきたいと平成27年の1月22日(芝の命日)に立ち上げた会です。
 会員は、20名 内半分が団塊の世代です。これからの人達に何かを残したいという気持ちだけで頑張っています。

今、何故「江戸しぐさ」なのか
 2020年オリンピックが日本で開催されます。最終選考で「おもてなし」という言葉で一躍脚光を浴びました。

 外国人から見る日本という事で、いろいろと日本が紹介されています。その中でも日本人の心の事が、最も多く書かれているように感じます。

 世界一素晴らしい国日本と言われるのは、おもいやり、もてなし、きくばりに優れた日本人が外国人に接する姿が、感動を呼んでいると思います。茶道では当たり前の世界が、一般大衆に広まっていったのは江戸時代だと思います。人を思いやる風習は、江戸時代に培われたものではないでしょうか。みんなで協力する町づくりから、自然と出来たと思われます。

 このように世界が一目を置く、日本人の心(江戸しぐさ「おもき心」)は、そのような言葉を中心に作られたものです。先人の、世界に誇れる文化をもう一度、見なおしてみてください。

江戸しぐさの起源
 先人の知恵である「江戸しぐさ」は、現在の日本の文化のルーツではないでしょうか。
江戸時代以前の文化は、中国大陸、ヨーロッパの一部の文化が主流になっていました。徳川幕府が江戸に城を築き、武士を中心とした町、江戸時代が出来上がりました。武士だけでは町は創れません。町民の力が必要になります。そこで全国から商人、職人が集まり、江戸の町が出来ました。この時代から日本独特の文化が生まれてきたと思われます。

 町づくりの原点は、言葉でした。言葉の違う異国(各藩)の人達が集まってきました。現在でも方言で話されると意味が分からない言葉があります。でも、標準語も話せるので教えて頂けます。でも、江戸時代だったらどうでしょうか。理解が大変ではなかったでしょうか。当時の江戸(江戸弁)の言葉も独特で、いま聞いても分かりません。当時は徳川家家臣と上方の商人が多かったので、そのあたりから理解できる言葉として共通語が出来たのではないでしょうか。風習も上方を真似るのではなく江戸独自の文化が発達したと思われます。その力になったのが、商店の主たち町衆です。

 町衆たちは、新しい町を日本一の住みよい町(まほろばの町)にするために知恵を働かせ作り上げていったのだと思います。江戸幕府も同じです。新しい幕府を作るのに、町民の力が必要なことは分かっていたので、今までにない、武士と町民の協力する町づくりが行われました。そして衣食住の新しい考えの町づくりが始まりました。その中で出来た「生活の知恵」が、芝講師のいう「江戸しぐさ」です。
江戸しぐさを、またの名で※繁盛しぐさ・商人しぐさとも言っている人たちがいますが、それは、江戸しぐさの一部のことを表現しています。江戸しぐさを別名で述べるのであれば、生きるための「生きのしぐさ」です。
  ※繁盛しぐさ・商人(あきんど)しぐさは「上方しぐさ」です。
 
 最初に作られた町の範囲は、現在の日本橋から神田だそうです。一区画110㎡と言われ約300町あったそうです。道路は幅広く表通りと呼ばれ、大名行列なども通る道、人が多くすれ違える道もあり、「道路はお城の廊下」と表現して物は置かないように常に掃除をして綺麗にしていたそうです。このあたりにも将軍様と江戸人のつながりの文化があります。これも口伝として伝えられた江戸しぐさです。
人のすれ違いから、トラブルが起きないようにできた言葉が「往来しぐさ」(造語)です。このように江戸しぐさの中に出てくる「しぐさ言葉」はすべて芝の考え出した造語です。今の時代に育った方に分かりやすい表現として作られました。
 みなさんには、項目を覚えるのではなく、その中に書かれている内容を自分なりに消化をして使っていただきたいのです。

江戸しぐさとらのまき
「江戸しぐさ」という言葉は、中途半端な状態で世の中に発表されました。私達、振興会は、あえて「芝三光の江戸しぐさ」と表現をして、芝先生の残された言葉(項目)を「とらのまき」と称し、未完成ですが、27年9月30日に発表しました。まだ、残し文もございます。これから、未発表の項目も追加し「とらのまき」の完成と新たな江戸しぐさ(しぐさ童話)を作っていきたいと考えています。
過去の江戸しぐさの項目に現時点で500項目位追加(854項目)しました。さらに、三個の段ボールの残し文を整理し80項目位出てきました。残り5個です。最終的には、トータルで1000位になりそうです。
それでも未完成です。芝講師が完成半ばでこの世を去られました。残し文を我々が整理して伝えたとしても、果たして全部なのか分からないからです。
 「とらのまき」には必要な内容しか入れていません。伝えたい項目は原文でお話しして、語り手が現代風に分かりやすく説明するように出来ています。芝講師の残し文の90%位は正確に伝えています。残りの10%位は分かりづらいので手を加えています。
「江戸しぐさ」は学べば学ぶほど面白い内容です。もっと多くの方に分かりやすく伝えていけたらと思っております。
 私は、江戸しぐさを学び考え方も変わってきました。年老いて好かれる、尊敬される人に近寄れればと思うようになりました。これからますます勉強だと思います。
歳をとってもできる事、伝承です。  

江戸しぐさの項目が何故こんなに多く必要なのか
 言葉、漢字などの数が多いのは当然ですが、一般の生活の中でもいろんな言葉が使われます。同じ内容のものでも地域、人によっても読み方、意味のとらえ方も違います。通信文化の発達していない時代には、その違いをくみ取ることもできません。言葉を後世に残すことは大変な事です。芝講師がいろんな方から聞かれた内容を、少しでも多くお知らせしたく、たいした内容も書けない項目でも、いつか内容がつかめる時が来るのではないかと載せました。なぜ、こんな言葉をと疑問に感じるものもあるでしょう。前文にも述べましたように人によってのニュアンスのちょっとした違いも、芝講師は気になり残されたのではないでしょうか。読んだ方が、どのように判断されるかは、読み手に任せると言ういきな計らいだと思います。
言葉の一つ一つは、人のとらえ方で大いに変化します。江戸しぐさの中には言葉遊び、とか遊び言葉だという表現もあります。言葉の変化と使い方の楽しさを味わっていただくのも江戸人の粋な考え方です。
 現在のわれわれはどうでしょうか。遊び心があまりにもなく神経をとがらせすぎで疲れていませんか。月に一日でもいいです。一時間でもいいです。いきな事を考えて暮らしてみてはいかがですか。江戸人の気持ちが分かるかもしれません。違った見方が見つかるかもしれません。

江戸しぐさ批判本に対して
 現在、批判本が出ていますが、有難いことだと思っています。我々の分からなかった事とか、表現のまちがいだとか、考えなければならないことを教えて頂きました。感謝いたしております。
私は、「江戸しぐさ」の項目の中身は間違っていないと思っています。何ごとも、賛否があって当然です。また、考え方の違いは当然です。「江戸しぐさ」関係の本を読まれた方が判断し、自分で正しいと思われる方向をお選びになればいいと思います。

江戸しぐさでよく勘違いをされていることを述べさせていただきます。

 1.江戸しぐさという言葉は、昭和49年に作らえた造語です。芝三光が分かりやすく
   使った表現です。
 2.江戸しぐさで表現されている事柄は、表通りにある商店の主(町衆)の人達が集ま
   った町講によってつくられたという事です。庶民ではありません。
 3傘かしげ(傘おとし、傘かたげという言葉も残っています)表通りですれ違う、
   傘をもてる町衆たちのすれ違いの気くばりです。
 4.こぶし腰浮かせは、芝居小屋で遅れてきた人達に詰めて席を作る行為。舟の表現
   は渡し舟ではなく川舟でのことです。
 5.カニ歩きは、細い道ではなく、階段を着物で上がる時に正面で上がるの大変だっ
   たので横歩きしたところとか、駕籠屋が神社やお寺に行った時に横になってあが
   った様子などで使われていたそうです。

「江戸しぐさ」を語る上で、江戸大虐殺なる言葉が出てきます。事実ではないでしょう。江戸人からすれば平和に暮らしているときに幕府をひっくり返す新政府の行動が、新たな戦乱の世に戻す行為だと思い怖がったところから一部の人が騒ぎ反抗したことを、面白おかしく伝えられたのかも知れません。口承文化は、事実でないことも伝えて行きます。話す無責任さと受け取る無責任さで話は変化します。それをどのように判断していくかは私達個人だと思います。無責任な言葉は自然と淘汰されていくと思います。
 わたしたちは、自分たちの調べた内容で正しいだろうというものを選び、後世に残していきます。
 私は、自分の人生において、参考に出来るものはどんどん吸収すべきであり、人に左右されなくわが道を行く。老いた人生、最後の我儘で生きて行きたいと思います。

                                ゆう爺より


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