うらしま講

毎月第3週水曜日
14時~16時 
麹町にて実施

師範以外の理事の方で参加希望の場合はメールにてご連絡下さい
  kinarinoheya@ybb.ne.jp

 

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担当 芥川
 

芝三光と江戸しぐさ

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「江戸しぐさ」とは

江戸しぐさという言葉が、その本質の理解を伴わないまま一人歩きしています。

芝講師が「江戸しぐさ」と名付けてその普及活動に人生を費やしたのは、決して表面的な「お作法」の伝播の為ではありません。残念なことに、今日江戸しぐさと聞いて大多数の方が思い浮かべるのは「傘かしげ」や「こぶし腰浮かし」に代表される表面的なものばかりです。これらは江戸しぐさのほんの一部であって、マナー講習やハウツーもので便利に使われる単なる道具でしかありません。

江戸しぐさが別名「商人しぐさ」とも呼ばれることから、儲け話に絡めたりビジネスツールとしても使いやすいのでしょうが、本質を理解していなければそれらは単なるお遊戯にしか見えません。ビジネスマナーに則って美しく名刺を渡されたとしても、それが実際に仕事をする上でのメッキにはならないのと同じことです。

江戸しぐさの本質が「道徳」、「倫理観」、「人生哲学」にあるという芝講師のお考えを理解すると、「なぜ傘を傾げるのか」という疑問にぶつかります。それを突き詰めていくと、最終的に「常に傘を傾げる必要はない」という考えにたどり着くのです。矛盾していますね。
なぜ傘を傾げるのか。それは狭い道ですれ違う際に一方だけが犠牲にならず、お互いが歩み寄って犠牲を最小限にしようと、両者が選んだ選択肢の一つにすぎません。片方が大きく傘を傾けただけではそこに「江戸しぐさ」は存在しません。また、お互いが上下に傘を移動してすれ違ったり、一人が端に避けて待機して先に相手を通し、通してもらった方は会釈で感謝を伝えた場合はもちろん「江戸しぐさ」となるのです。

本来は「自分だけでなく相手の利益をできる限り損なわず、社会の一員として日々を生きる為の知恵」の一部が形骸化してしまい、良いマナーのお手本の「傘傾げ」として残ったとい言う訳です。
自分も周りも心身ともに健やかに暮らせるようにする為の「思考モデル」としての江戸しぐさ。それこそが江戸しぐさの本質であると私は考えております。

「講」とは

調べてみると、江戸しぐさを「教える」とする個人または団体が多いことに驚かされます。
私が芝講師の講に参加して初めに言われたのは、「江戸しぐさは教わるものではない」ということでしたから。

私は三十年以上も芝講師の開く講に通い詰めました。芝講師の教えを受けたいという気持ちで出席しているのですが、芝講師は毎回稚児問答のような形で講を進めていきます。あることについて何も知らないのだから教えて欲しいと思っていても、答えをそのまま教えて頂けるということはなかったのです。

長年通って編み出した、答えを引き出す方法とは
1、 すぐに答えを知りたいという思いを抑え、講師のお話が終わるまでじっと待つ。
2、 最後まで聞いた話の中から、まず自分なりに出した答えを投げかけてみる。
3、 その場で正解を教えて頂けることは少ないので、ほかの方の意見を更に聞いて情報を増やし、自分が正解と思った方法で試してみる。
4、 それでも答えが出なかった場合、次の講までに自分で調べてみる。
5、 その結果を講師に報告する頃には、答えはすでに出ている。

これが芝講師の開く講の型でした。教科書や参考書を暗記すれば良いお点がとれるという勉強方法とは全く違います。しかしそういう学び方だったからこそ、お勉強が得意ではなかった私も長く通うことが出来たのでしょう。とにかく講に参加するのが楽しかったのです。普段はそれなりにしか動かしていない頭を、講でフル稼働させることの気持ち良さといったら。
古代ギリシアのアテナイにプラトンが創設したギムナジウムは「アカデメイア」(快楽)ですが、本来の学問とはそういうものなのかもしれませんね。

江戸の講は、すでに申し上げましたように講義の『講』ではありません。したがって、講師も『テダテのオサ』と呼びます。オサは長という意味です。
ですから講師は今の先生よりも、むしろグループリーダーとかオーケストラのコンダクターに近い役目の人となりますね。
江戸の良さを見なおす会 1977年4月講から抜粋

江戸の講の講師は、講における指揮者か案内人です。学校での先生を指揮者に、生徒を団員に置き換えてみるとその違いがわかり易くなります。団員はそれぞれの楽器から選ばれたプロであり、指揮者はそのプロ達を生かして一つの作品を作ります。ですから皆様もお一人お一人が「自分の人生のプロフェッショナル」として参加なさってくださいませ。

「芝三光」について

誕生 1928年4月8日東京市芝区生まれ
小学校時代 1934年4月~ 横浜市保土ヶ谷区
中学校時代 1941年4月~ 横浜市保土ヶ谷区
大学時代 1944年4月~ 横浜高等工業学校(現:横浜国立大学工学部)
教員時代 1949年4月~ 川崎市立鶴見高校教員
公務員時代 1952年4月~ 法務府多摩少年院教官
会社勤務時代 1955年4月~ ポピュラーサイエンス社・編集主任
[ 自分で作るテレビ考案 ]
1957年4月~ テレビ技術社勤務
講師時代 1959年~ 企業教育及びコンサルタント
[ 文集(青光)等アドバイス ]
1965年~ 江戸の良さを見なおすサロン開始
1974年~ 社会教育団体・江戸の良さを見なおす会(初代講師)
1975年~ 講演活動等で江戸しぐさの普及に従事
[ 江戸しぐさレポートの発行 ]
1992年~ 江戸の会にて語り部育成(特別聴講生育成)
没 1999年1月22日

 略歴では芝講師のほんの一面しかお伝えできませんが、後ほどお話させて頂く芝三光という人間を理解して頂く為に資料として載せました。通常、講では人の出自、学歴等を公開することはございません。

「江戸の良さを見なおす会」について

江戸の良さを見なおす会は、江戸時代の江戸の町における「共生の為の知恵」を江戸しぐさという形で伝承する為に芝講師がお作りになった会です。

日中戦争の最中には、人々が集まることが禁止されたと言います。そういった中、“江戸講”も「集まり」の一つとして解散させられました。それを惜しみ、 昭和21年敗戦の焼跡で、東京の文人墨客が始めた「東都人茶会」。これこそが、江戸の良さを見なおす会のルーツなのであります。

昭和30年代になると東京コンシューマーズ・クラブや江戸商法研究会などの有志も参加して「江戸新人サロン」となり、昭和40年には「江戸を見なおすサロン」として新会を結成しました。そのメンバーであった芝三光氏が、非公開の“講”を公開しようと決意して独立。一般に呼びかけ、昭和49年に「江戸の良さを見なおす会」として発足しました。

社会が正常に効率よく機能するには、日々の助け合いの精神が必要です。それは、一人一人のちょっとした心遣いの積み重ねであるということを、江戸しぐさによって誰もが理解し、実践出来る世の中であって欲しい。そういった芝三光氏の想いを次の世代に繋げたい、その思いこそ、江戸の良さを 見なおす会そのものなのです。

芝講師が他界なさった後の講は、現在も「講師不在の講」として活動しております。
会の代表を講師から仰せつかった私は講元としての責務を果たすと共に、長年講で学び取ったことを皆様にお伝えしております。

本日のまとめ

芝講師が定義した江戸しぐさには、「下品(げぼん)」、「中品(ちゅうぼん)」、「上品(じょうぼん)」という大きく分けた三つの段階があります。

「傘傾げ」のように、しぐさが体現できるものの多くは「下品」から「中品」の部類に入ります。今回の第一期江戸しぐさ講(全三回)では、主に下品の段階のお話をさせて頂きますが、決して「初心者向け」で簡単なものという訳ではございません。そもそも上品の段階の江戸しぐさは、人から教わるようなものではないのです。

下品では多くの実例を学び取る。中品ではそれらを実践しながら新たな江戸しぐさを自分で見つける。そうやって日々江戸しぐさ的思考プロセスを実践して頂いていると、いつのまにか上品の域に達している。江戸しぐさとはそういうものなのです。

ですから「全部で何回受講したから上品のお免状が出ますよ」とはならないのです。
江戸しぐさとは、自分の人生哲学を究めていくことなのではないでしょうか。

「江戸しぐさは習うものではない。理解し、学び取るものである。」これが、長年かけて私が江戸しぐさから悟ったことの一つです。

代表 和城伊勢

 

一人一人にひと講(てだて)

はじめに

私が現在も習い続けているお稽古に、「着付け」「お茶」「小唄」「古文書を読む会」がございます。まだ私も若かった頃から「何かを習うなら一つにしなさい」と、芝講師には嗜められておりました。「先生がおっしゃることだからきっとその方が良いのだろう。でも今は一つに決められない!」と結局複数を始めた結果、今尚どれ一つ極められてはおりません。

色々に手を出して不必要にバタバタと忙しくしている私を、芝講師が叱る様なことはありませんでした。むしろ「何一つとして無駄な勉強は無し」と静かに見逃してくださいました。
ただこの齢になり、ようやく「一つになさい」とおっしゃった意味が理解出来るようになりましたものですから、今年の締め括りに皆様にお話させて頂こうと思います。

「講(てだて)」とは

江戸しぐさ講、昼講、夜講、12月講…。江戸の良さを見なおす会では、非常に便利に使ってしまっている「講」(こう)という言葉ですが、単なる「集会」や「講演」を意味しているのではないということ、皆様はすでにご承知のことと存じます。

 講(こう)は元々、同じ信仰を持つ人々の集まりをいいました。それが江戸時代に入ると、さまざまな機能をあわせてもつ集団のことを指すようになります。
今の言葉でわかりやすくいうと、講は「生涯学習の場」。さまざまなことを学び、教養を見につける場所であり、文化や趣味を楽しむところでした。ある分野に特化した専門の講もあったようで、何かを学びたいことがあれば、その専門の講を探して入ることもできたのです。
また、学ぶだけでなく、よりよい地域をめざして話し合ったり、何かこまっているひとがいれば相談にのったりと、相互扶助をめざす町内会のような存在でもありました。
「講」という字は講座、講義などにもちいる場合と同じく、習う、けいこする、解きあかす、はかるといった意味になりますが、江戸時代では「てだて」とも読んでいたそうです。学ぶだけでなく、習うだけでなく「てだてを講じる」、つまり生きていく手段や、人間の暮らし方を 身につけることとしてとらえていたのでしょう。

和城伊勢 著「絵解き江戸しぐさ」より

過度な合理化や効率優先の偏重により、一人一人の個性を伸ばすことは「贅沢」のように考えられて久しくなります。学習塾の「個別指導」が商品として「売り」となり、「勝ち負けを明確にしない」や「成績の優劣を認識させない」といった「ゆとり教育」の弊害に気付いた途端、今はそれらを悪者扱いの現代社会。そんな時代に「誰かに何かを教える」ということと
「自分の主張を万人に知らしめること」、この違いが「講(てだて)」と「講演」の違いだと私は考えております。
実際に私も講演の依頼をお受けすることがございます。それはあくまで芝講師の「理想・信念」の結晶である江戸しぐさを一人でも多くの方々に知って頂くためものでございます。ですので、講(こう)の基本は「講(てだて)」であるという考え方が揺らぐことはございません。

会に残る「講(てだて)」の資料

会が所蔵する資料として、芝講師がお書きになったものの一部に
・ 「休日のあり方」
・ 「女性の方に・大学進学のすすめ」
・ 「購買心理の研究」 江戸っ子商法研究所
・ 「パトロールの手引き」 TOKAI SCT
・ 「成功のカギ 公衆浴場の卷①」 店員教育研究所
等がございます。

中でもヘアドレッサーの方向けにお書きになった「休日のあり方」は、忙しすぎる我々現代人が生活を考え直すよい資料となると思いますのでご紹介いたします。

1. 休日は成功のキー
休日のつかいかたで、人生の成功と失敗がきまります。
なぜか、ということは、おハナシで申し上げますからよく覚えておいてください。
わたしたちの人生は、一生に一度しかないので、やりなおしができません。5年たち、10年たち、20年たって、しまった、と思わないように、上手に休日を使いましょう。
※途中省略
5. あすを生かす休日
休日のあり方の最後は、あすを生かす休日です。生かすも殺すも腕ひとつ、というコトバがありますが、ヘアドレッサーは、さっき申し上げたように、むずかしい仕事ですから腕だけではダメです。頭がいります。『休日を生かす殺すは、腕と頭のふたつが必要』です。

こばやしかずお 著 「休日のあり方」より抜粋
最後に

 「人間五十年、下天(化天)の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか。」

太田牛一『信長公記』より引用

幸若舞のひとつである「敦盛」の一節を好んだ信長は享年48歳。因に江戸時代の平均寿命と言われている50歳ですが、歴史上の人物に限定すると、平均寿命は60から68歳にもなるそうです。
そう考えるとまだまだ「お若いのに…」となりますが、本人が出陣の前には「自然界の中では寿命の短い『人間』として、ひたすら密度濃く生き抜くことが人生を『永く』生きる途である ※和城意訳」と、舞っていたと考えてみてはいかがでしょう。自刃の際も「これも御仏の御意思だと受け身だった」のではなく「生き抜いた自分で寿命を決めた」と考えるとでは、全く違った信長像となるのではないでしょうか。

「毎日を丁寧に生きること、即ち人生を全うすること。」芝講師が江戸しぐさの基本としているのは、こうした考えであったと私は思います。講を開くということは、お会いするお一人お一人との一期一会に、人生に関わるということ。講元として、来年の講が少しでも芝講師の「てだて」に近づけるよう、これからも精進して参りたいと存じます。

皆様良いお年をお迎えくださいませ。


代表 和城伊勢

 

残し文

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はじめに

芝講師の年代はもちろん、私のように団塊と言われる方々の世代もまた日記を付ける習慣をお持ちの方が多いようです。
原稿を書くことが多かった芝講師ですが、それらが芝講師のお名前で出版されることはありませんでした。そして日々の心情を吐露した日記のようなものは、お書きになる習慣は無かったように記憶しております。では芝講師は我々に何を残してくださったのでしょうか。

「残し文」とは

「残し文」は誰それに宛てた文章とは限りません。日々の書き付け・日記・日報・手紙はもちろん、手帳も立派な残し文となり得ます。
芝講師は原稿も手紙もカーボンを当ててお書きになりましたので、江戸の良さを見なおす会には芝講師直筆のものが山程残っております。他にも手帳や走り書きのメモなど、「残し文」として大切に保管しております。

特にスケジュール帳には細かな文字で要点がびっしりと書かれており、当時の芝講師の状況や健康状態、社会情勢などが朧げな記憶を補って鮮明に思い出すことが出来ます。ちょっとした走り書きの一言に、その時は口には出さなかった本音が隠れていたのを見つけると、思わずニヤリとしてしまいます。

このままでは紙媒体の読み物が消えてしまうのではないか、とまで言われる厳しい状況下にある出版業界ですが、「自分史」の自費出版をターゲットにした宣伝はよく目にします。この自分史、文章の善し悪しではなく「残し文」としての価値があるのでしたら、私は大賛成でございます。私が芝講師の残し文達を読み続けて辿り着いたのは、残し文は
1. 未来の自分も含めた誰かの為に役立つ情報である(天気や価格も立派に役立ちます)
2. 主観的表現は避け、客観視した事実(ひどく待たされた→予定より1時間遅れ)
3. 私小説ではないので、自慢や不幸を自分主体で書き綴らない
という条件を満たしていることが重要である、ということです。

しかし上の3つに注意しても尚溢れる感情があれば、それは重要なメッセージとなり得ます。是非書き残しましょう。

1973年(昭和48年)11月17日 土曜 の残し文

*以下、原文ママ

 はれ風ふき荒れる 夕刻おさまる
・3丁目(220)残業
・3丁目(750) 〃
・78(510)桜木町より
・78(630)家より.ソニー、レス来るとのこと
21(1145)横本店(電話下手)
21(1145) 〃 後でかけてほしい

1973年(昭和48年)11月22日 木曜 の残し文

*以下、原文ママ

 雲一つない快晴なれど、遅く起きたのでふとんほせず残念
夕方5時半まで富士見える
夜半室温15℃寒い
・オクムラ(800)人を世話してほしい
近藤君の件、日曜日アパート問題話し合うとのこと
・3丁目(345)ロージョー
・3丁目(1050)♨あがりtel
21(3t)mth下の病通院中とのこと 本2冊600×2 季寄せ
7(t)三越テープレコーダー修理します

残し文、残され文

誰かの為にと思って残しても、残された者がそれを活かせなければ意味がありません。
未来の自分にと思って書き溜めてみたものの、十年後の自分が読めない程乱雑な文字で書いてあったとしたらどうでしょうか。
又「こうした方が良い」や「ああするべきだった」と書くのは余計なお世話ですね。せめて「次はこれを試そうと思う」位にしておいた方が良いでしょう。

何故なら残された方が残し文から何かを受取るには「読み解く」力が必要になるからです。書かれている情報を決して鵜呑みにせず、現代や自分と比較し、そこにある真実とそれを今に活かすヒントを見つける力です。

芝講師が提唱する江戸しぐさが、型の決まった「マナー」や「お作法」ではなく、「あらゆる状況下において素早く考え、最前の行動をとること」であるように、残し文のやりとりとは、江戸しぐさを身につける為の問答、今で言うドリルや問題集のようなものかもしれません。

最後に

今回は芝講師が1973年にお使いだったスケジュール帳を初披露いたしました。江戸の良さを見なおす会では、遺品をご本人の遺言でお預かりしており、そしてそれらを何らかの形で広く世間に公開することを委託されております。
皆様の「気付き」の、何かきっかけになれば嬉しゅうございます。

代表 和城伊勢
 

春仕込み

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はじめに

あの「日本が震えた日」から一年が経ちました。江戸の良さを見なおす会では復興のお手伝いの手を止めず、細々とですが会なりの支援を続けております。

震災後数ヶ月は、物資やお金が一番手っ取り早くお役にたつものと信じておりました。時間が経ち、聞こえて来る現地からの声で実状を知りました。余った物資の処理に困り、集まったお金はそれぞれの団体で膨らみ続ける一方、今も一人一人には行き渡っていないというのです。
そんな現実も、一年経ってしまえば印象が薄れつつあるのは、私達の日常があまりに忙しすぎるからなのでしょうか。

本日のお題は、秋や冬のお楽しみに必要な準備「春仕込み」。「秋仕込み」や「寒仕込み(冬仕込み)」と、仕込みの時期は一年に何度かあります。しかし春仕込みは「花(見)仕込み」とも言われてなんだか華やかな上、水仕事にも冷た過ぎることがないのがいいですね。

このような流れで行くと、今回は食べ物の話ばかりになると思われるかもしれませんが、そこは江戸の良さを見なおす会。「仕込み」のもう一つの意味についてもお話したいと存じます。

それでは始めるといたしましょう。

芝流「春仕込み」

寒さが緩み始め、陽射しに春を感じる頃になると、芝講師の春仕込みが始まります。とはいえ味噌や醤油といった上級者向けの仕込みではありません。自生している野草を使ったお手製「野草茶」を作るのです。

野草茶というと、成分の強い夏の野草「ドクダミ」や「甘茶蔓」を思い浮かべますが、春の野草は穏やかな効き目で冬に溜まった老廃物を出し、体をリセットしてくれます。
春の野草には、ヨモギ、オオバコ、ハコベ、カキドオシ、スギナ、サンショウ、ユキノシタ、ウコギ、ハハコグサ等があります。
野草茶を作る場合は、一つの種類でなく数種類をブレンドすると良いそうです。

芝講師は「食べる」ことに対して強い興味とこだわりをお持ちで、美味しければ贅沢なものも決してお嫌いではなかったようです。しかし日常では「体に美味しいもの」を口にするよう
心掛けていました。そして口からだけでなく、鼻から、肌から取入れるものすべてに対し「体に美味しい」、つまり体に良いものを摂取なさっていました。なんと、お茶だけでなく野草の化粧水も手作りでした。

再び生命の息吹を感じ始める春。その春に収穫したものを使用する「春仕込み」は、凝縮した旨味や強い効果こそ薄くはなるものの、生き物の持つ本来の力をじんわりと与えてくれる気がします。

もう一つの「春仕込み」

日本では多くの学校、企業が四月を新学期、新年度としています。四月から新しく物事を教わるとするのなら、学ぶ準備は三月には始めたいものです。新しい文具やスーツを用意するという意味ではありません。体調を万全に整え、学問や仕事に集中する妨げになるものを片付けるのです。受け入れ体勢が整っていなければ、せっかくの仕込みも台無しです。

教える方の準備はより重要となります。
江戸の講の教えに、「十年初心に帰る」という言葉があったそうです。講に入って十年ほどたつ人は、その十年間の経験や感想を書き残したり後輩に説明する事で、自分の十年間を振返る。そうして十年前の自分が持っていた初心に戻り、相手の立場に立った考えが出来るようになったというのです。このような習慣は「十年者」と呼ばれました。現代にも通用する、人を育てる一つの知恵、江戸しぐさではないでしょうか。

韓国では「キムチ休暇」なるものがあるそうです。野菜不足になる真冬迄に、まとめて一年分のキムチを漬ける為のお休みで、材料を買うためのキムチボーナスとセットなのだとか。羨ましいのは、休みとボーナスのところだけではありません。野菜の栄養価が高いうちにまとめて漬けるので、お金も栄養も蓄えられます。何より、このキムチ漬け(キムジャン)は家族総出が当たり前、しかも隣近所、はたまた親戚一同が集まって行うという点が一番の魅力です。

今日は親戚のおばさんの家、明日はお隣のお手伝い。そうして子供は大人から、お嫁さんは隣のおばあさんから学ぶのです。老若男女入り交じって一つの仕事を成し遂げる。この美味しいものの仕込みには、労働の楽しさや厳しさ、食べ物への敬意、人付き合いのコツといった現代の日本ではお金を出してでも習いたい、習わせたい人生勉強が詰まっています。
ただ、徐々にこの習慣も廃れつつあるようです。他の国の事とはいえ、よい習慣、伝統は守り続けてほしいですね。

**** 「仕込む」には ***********************************************
「教え込む、教育、鍛え上げる、育てる」と、「下ごしらえ、準備、支度、手回し」という意味があります。
本日お話した「春仕込み」には、両方の意味が含まれています。そして春には春に、冬には冬に適した「仕込み」があります。

最後に

私の今年の春仕込みは、4月から始まる「江戸しぐさ講」(於:江戸東京博物館)と、「完全自家製」豆腐です。

現在、江戸しぐさ講は9月迄の開催が確定しております。春に始めるこの新しい取り組みが、会の更なる発展と江戸しぐさの普及に繋がる事を願っております。
そして豆腐は、4月に種まきした大豆を夏に収穫し、一部は枝豆としてビールのお供に、残りは寒い冬に湯豆腐として美味しく頂くための「仕込み」を行う予定です。

東京でもこれから2、30年の間に非常に高い確率で、直下型の大地震が起こる可能性があると聞いております。

「非常時に備えておけるのは物だけに非ず、江戸しぐさもその一つ也。」

天災を防ぐ事は出来なくても、災害を最小にする「仕込み」は出来ると思います。
震災から一年が経ったこの春。近い未来の日本の為に何を仕込むべきかを、皆様とご一緒に考えてみたいと存じます。

代表 和城伊勢
 

見取り学

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はじめに

見取り学とは「設計図、回路図を読み取ることは勿論、聞く、触る等五感をフルに使って感じ取る力を養う為の学習である。」芝講師はそうおっしゃっていました。

大学では電子・機会工学を専攻なさっていたことから、人の考えを設計図、特に電子回路に例えて説明なさることがよくありました。「パッと見は難しく見えるかもしれないが、順を追って規則通りに読み解いていけば必ず理解出来る」のだそうです。

本日はそんな「見取り学」について、芝講師のライフスタイルと共にご紹介していきたいと思います。

芝流「見取り学」 –入門編-

江戸の良さを見なおす会では、生前の芝講師から託された多数の遺品、資料の整理・保管も大切な業務の一つです。その量たるや、事務局には置ききれずにもう30年以上もの間、倉庫を借り続けている程です。

その中には収集なさっていた浮世絵や直筆の原稿や手紙の束はもちろん、「なんでこんなものまで?」と首を傾げたくなる様なものも少なからずございます。

例えばこのようなもの。同じ空き箱が丁寧に開かれ、同じく畳まれて束になっています。

「なんでこんなものを取っておくのですか?」資料の整理を手伝って下さる方には必ずと言ってよいほど質問されます。そこからが見取り学の出番となるのです。

「本当にすべて同じ箱ですか?」そう私はお聞きします。すると「値札が貼ってあるものとないものがありますが」と答えが返ってきます。それに対し私は「そうですね。でもそれだけですか?」と再度お聞きします。少し考えて「あ、値段が少しずつ違います。」と、また答えが返ってきます。そこで更に「良くお気付きになりましたね。他には?」とお聞きするのです。

すると「表にはもう何も違いはありません。でも、裏の記載では数字や記号等の情報が少しずつですが違っています!同じものなんかじゃありません、一つ一つが違うものです!!」という答えが返ってきます。

そのような答えが聞き出せてから、ようやく「見取り学」のお話が始まります。

芝流「見取り学」 –基礎編-

芝講師にとって、使い終わった包装紙や紙箱はごみではありませんでした。例え文字が書かれていなかったとしても、そこから情報を読み取る事が出来たのです。何故でしょうか?

例えば包装紙。特にデパートのものが多いのですが、そこには特に説明も注意書きもありません。実は私も生前の芝講師に伺った事がございます。「何も情報の入っていない包装紙をとっておいて何にお使いなのでしょうか?」

すると私に「ここには本当に何の情報もないですか?」と逆に質問なさるのです。私は「ここには絵しかありません。しかも会社の商標(ロゴ)だけです。」と答えます。「そうですね、会社の商標ですね。」とおっしゃいます。私は「確かに会社の商標からはその会社の名前、業種は分かります。でもそれだけです。」と続けます。そんな私に「会社の名前をデザインする時に、『こんな会社でありたい』という願いを込めるとは思いませんか?」と更にお聞きになりました。

答えに詰まっている私に対し「商品、店、会社にはそれぞれのポリシーがあり、それを視覚化したものが商標なのです。ですからその商品、店、会社に対し少しでも気になるところがあると、僕はまず商標を見ずにはいられないのです。」

正直に申しまして、その時の私は「そんなものなのでしょうか…」とあまり納得出来てはいなかったように思います。先生はそんな私をにこにこと見ながらお話を続けます。「ここに二種類の包装紙があります。有名な店のものなのであなたも知っているでしょう。」私は知っていると答えます。そしてそれらが同じ店のもので、社名変更に伴い商標を含め包装紙が変わった新と旧のものであることも付け加えました。

すると「そうです、よく説明出来ましたね。」と褒めて下さった上で、更にこうお聞きになりました。「では何故僕がこれらを取っておくのか分かりますか?」
この時点でお分かりになった方もいらっしゃるかもしれません。しかし当時の私には皆目検討もつきませんでした。何故先生は不要な物を取っておくのでしょうか?
答えは「見取り学の為」でした。私の様にあまりカンの鋭く無い者には、言葉の説明だけでなく目で見て理解、納得させる必要があったのです。

当時、芝講師のそうした行動を「過度な収集癖」のように思っていた自分を今は恥ずかしく思っております。先生は「不必要なものを捨てられない」のではなく、「不必要な物は初めから一切持たない」主義でした。身の回りのものは最小限とし、あるものを最大限に活用する。食べ物は決して安物買いはせず、安全で体に良い物を必要なだけ求める。もちろん正当な方法で、出来る限り安価に求める工夫も怠りませんでした。同じ様な考えで、講で江戸しぐさをお話するための教材として、身の回りの物を最大限に活かしていたのです。

こうして皆様に証拠をお見せ出来るのも、先生の遺してくださった「活きた教材」があるからこそです。ただ先生も私も、資料整理に関してはあまり得意とは言えませんでした。ですから倉庫に堆(うずたか)く積み上がっている資料を徐々に崩しながら、少しずつ少しずつ皆様にこうして公開するのが私の精一杯なのでございます。

因に今回は先生の教材を中心としたお話になりますが、「設計図、回路図を読み取ることは勿論、聞く、触る等五感をフルに使って感じ取る力を養う為の学習である。」と先に申し上げました様に、「見取り学」とは実に奥の深いものなのでございます。それにつきましては、また後日お話させて頂くといたしましょう。

芝流「見取り学」 –応用編-

説明書や注意書きを、最初から最後までしっかりと読んでから商品を使うという人は、今も昔も多くはないでしょう。しかしこれらを熟読した上で「証拠」として取っておく習慣が芝講師にはありました。
同じく「証拠」として、食品のパッケージはすぐには捨てないという教えもありました。当時は食中毒になった時に何を食べたか分かる様にという説明でしたが、食品の産地偽装や放射能問題が噴出する現代では、やはり「証拠」は必要なのかもしれません。
そして同じと思われるパッケージをいくつもとっておくことで、後になって分かる事があります。そのいくつかを挙げてみましょう。

【社会情勢】
同じ商品のロゴを含むパッケージが長年変わらなかったということは、その間の社会情勢は安定していたと言えます。また頻繁に変わるようであったなら、経済を含めた大きな変動があり、比較的不安定な状況であったと推測出来ます。

【経済状況】
特に日用生活品の値札は、人々の経済状況を小刻みに記録する役に立ちます。大きな価格変動が起こった背景を探ると、その時期の社会情勢も見えて来ます。

【科学技術】
紙の素材や印刷インク、そしてカッティング等、技術の進歩によって新たなデザインが生み出されます。芝講師はデザインにも興味をお持ちでした。単に「美しい」ものが好きだからとおっしゃっていましたが、「デザイン=設計」という先生の得意分野と「美」が組合わさったものだったからではないかと私は考えております。

最後に

「みとる」は「見取り」や「看取り」や「身取り」と書く事が出来ます。私が教わった一番大切で難しかった「みとり」は、芝講師の最後を看取ることでした。
この最後の「看取り」を学ぶには、すべての「みとる」が必要であることも又、その時に実体験として学ばせて頂きました。

今後の日本を考えると、今まで以上はもちろん、今と同等の物質に恵まれた生活を送る事は当分難しいのではないかと思われます。そのような中でも「不必要な物が無いと憂うより、必要な物だけで満足する。」更には「必要な物が無いと嘆くより、それを補う術や知恵を身に付ける(身取る)幸せを実感する」ことが出来るよう、1人でも多くの方にこの「見取り学」を含む江戸しぐさを知って頂きたい。

江戸しぐさは知って得する「実穫り学」なのでございます。

代表 和城伊勢
 

備えと供え

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はじめに

戦後の東京で、これほどまでに緊迫した日々を経験したことがあったでしょうか。
そんな中こうして皆様がリスクを冒しながらもお集りくださったことは心苦しくあるものの、そのありがたさに心震える思いです。
今だからこそお伝えしたい、そしてご一緒に考えて頂きたい「江戸しぐさ」がございます。
本日は時間を短縮して終了し、最新の交通状況を確認してからお帰り頂きます。時間は短くなりますが、より内容の濃いものになるでしょう。

お供えについて

宗教・宗派は違えど、その信仰における尊い方へ何かを「お供えする」という行為は決して特殊なことではありませんね。そしてお供えしたものを下げて自分らで頂くという行為もまた、特別な事ではありません。

子供の頃、お仏壇や神棚の前に上がったお菓子は「後で頂けるもの」として、やたらと美味しそうに見えたものです。成長すると「どうせ後で食べるのだから今食べたって一緒じゃないか」と思うようになり、働き盛りになると「そんな面倒な事をやってられない」とお供え自体をやめてしまう方が多いのではないでしょうか。恐らく信仰を持たず、近しい方を亡くされたことのない方ほどそういった傾向が強いと思われます。

型式的にお供えをすること自体、あまり意味はないと思われるお気持ちはよく理解できます。皆様はいかがですか?

では「お供え」の真の意味を理解した後で、再度お考えをお聞きすることに致しましょう。

「供え」とは

古来からお供え物といえば、米、酒、塩といった日持ちのするものが中心でした。今日ではお仏壇に供えるのは故人が好きだったもの、または頂きものや初物をまずお供えしてからというような考え方になりました。しかし本来は「いざという時に備えておけば安心なもの」をお供えにしたようです。お正月の鏡餅はお供え(お備え)の分かり易い例と言えるかもしれません。そして神道の場合は祭事に「熟饌(じゅくせん)※調理して供える神饌」や「生饌(せいせん)※生のまま供える神饌」と言って海魚の代表の鯛などを供えるそうです。

これらの事から考えるに、「供える」は「神仏等にととのえ捧げる」という意味ではありますが、「自分の為に備える」という意味も強いのではないでしょうか。

「備え/具え」とは

同じく鏡餅には上の考えを裏付けるような説があります。現代のように丸くて厚ぼったい複数段になったのには理由があり、それは元来平たい円形だったものが「備えの豊かさ」を誇示する為に厚く、高く、多くなっていったと言うものです。

農耕民族であった我々の祖先が、常に備蓄の重要性を考えていたことは想像に難くありませんが、溢れる程の物に囲まれた今日の我々が、更に物を備蓄することに意味は有るのでしょうか?

この危機を乗り越える為に…

今必要な「備え」は、「供え」であると私は考えます。「災害で被災した方々=尊い命」と考えるのならば、自分の為に物を溜め込む前に被害に遭った方へ「供え」ましょう。

もちろん自分や家族の命は一番です。それを後回しになさる必要はございません。そういう時こそ「江戸しぐさ」を思い出し、知恵を働かせてください。

江戸の町では個人個人が所有する物はそう多くありませんでした。殆どの物は共有され、無駄無く効率良く使い回されていたのです。

東京にいる私たちが今買い占めている懐中電灯は家族の人数分必要ですか?両隣の家に専業主婦の方がいるのであれば、昼間は一カ所に集まることで、必要な明かりの数は減らせます。
仕事に出かけたご主人が戻ってきた時に、それぞれのご家庭に最低1つあれば足りるのではないですか?
カセットコンロをすべての家庭が一つずつ所有しなくても、食事の時だけ数家族集まってみてはいかがでしょうか。小規模な炊き出しや、いつもとは違う大人数の食事をこんな時だからこそ楽しむのです。
集会所が近い方は是非活用してください。集合住宅で普段顔を会わせない者同士が初めて話をするきっかけになるかもしれません。ネガティブに考えず、出来るだけ前向きな思考を心掛けるのです。
他にもみなさんのアイディアから、埋もれていた江戸しぐさを発掘出来るかもしれません。どうぞご意見をおっしゃってみてください。

最後に

被災者の方に「頑張って」と言う事も、「頑張らなきゃ」と思うことも、混乱の最中にある今は、薄っぺらい言葉に感じて空しさを生むだけです。
耐える事よりも、少しの幸せを噛み締める力を蓄えてください。
芝講師が説く「共存」と「共生」の江戸しぐさを実践し、私もこの危機をきっと乗り越えてみせましょう。

代表 和城伊勢
 

初午(はつうま)

初午(はつうま)

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初午(はつうま)」とは

皆様ご存知の通り、初午は2月の最初の午の日に行われる雑節の一つです。
雑節とは、季節の移り変わりをより的確に掴む為、設けられた特別な暦日のことで、元々、初午は春先(旧暦の2月は現在の3月)の行事でした。古来では「立春(2月4日頃)以降の最初の午の日」とされており、今日の様に、寒い最中に行うものではありませんでした。

初午のお祝いの原型は毎年の豊作祈願であり、それに稲荷信仰が結びつき、全国各地で様々な風習を今も残しているようです。
明治になり、江戸時代までに受け継がれてきた生活風習や文化・伝統が、大きく変えられていきます。もちろん今日の日本にとって必要だったことも沢山ありました。しかし西洋文化を取り入れる際、どうしてもねじ曲げなければならなかった「暦」は、日本の節句から季節感を次第に薄れさせてしまいました。

ただ、そこから130年以上が経ち、温暖化の進んだ現代では、むしろ1ヶ月前倒しにした方が旬の季節に執り行なえる行事が増えたのではないでしょうか。

「決して曲げては、変えてはいけないものと、時代に合わせて柔軟に変えていくべきものとを見極める。」
芝講師が「江戸の良さ」として伝え続けたいものの本質を、ここでもまた感じております。

「初午に入門…寺子屋へ」

江戸時代までの寺子屋や私塾は、特に入学の時期を定めず、いつでも入門、入塾することが出来たそうです。しかし庶民の子の多くが通った寺子屋へは、初午や五節句の日を選んで入門したと言われています。

五節句には、
人日(じんじつ・1月7日)七草(芹、薺、御形、蘩蔞、仏の座、菘、蘿蔔)
上巳(じょうし/み・3月3日)桃の節句、雛祭り
端午(たんご・5月5日) 菖蒲の節句、こどもの日(現代でも祝日はこれだけ)
七夕(たなばた/しきせき・7月7日)七夕、笹、竹
重陽(ちょうよう・9月9日)の行事、祝日 ※現代では馴染みが薄くなりました。
があります。

ただ、芝講師曰く、江戸では寺子屋へ9月に入門する者が多かったということから、恐らくはこの重陽の日を選んだのではないかと推測しております。これは資料をもとに更に深く調べてみたい事柄の一つです。
初午に多くの子供達が入門した理由の一つとして、現代は4月頃からと早まった田植えが、江戸時代には旧暦の5月頃からだったことを考えると、田植え前の農閑期にあたる時期であったと考えられます。

長い冬の終わりと共に、親は新しい芽吹きと向き合い田植えの準備。その横を子が希望を胸に、小走りになって寺子屋へ。なんと春に相応しい風景でしょう。
現代の入学式では、すでに桜が散ってしまっていることもあるようでございます。志を持って新たな第一歩を踏み出す学生へのお祝いとして、何月何日と決めるのではなく「今年の入学式は桜が満開の日です」なんて学校があってもいいかもしれませんね。

「江戸流花見」のお誘い

三月のお題を通り越し、4月のお花見のお話です。
4月の1日(木)または8日(木)のどちらかに(近日確定)、講を終えてから下記の場所に移動し、お花見を計画しております。
当日は、料理研究家である大橋純子先生に、文献から再現して頂いた「江戸の花見重」と花見酒等をお楽しみ頂く予定です。当時の江戸の町に思いを馳せ、幻想的な夜桜に暫し現を忘れるような時間をご一緒出来ればと存じます。

代表 和城伊勢
 

年初め、節気初め

年初め、節気初め

はじめに

現代の2月は、旧暦の正月の月にあたります。二十四節気(にじゅうしせっき)の立春の頃でもあり、「万物、発(は)る候なれば」は春の語源の一つと言われます。
斯様(かよう)な事から、今日における2月はもう一つの「年初め」そして「節気初め」と言って差し支えないかと思っております。

古代中国で作られた二十四節気の各節気を、更に三つに分けたのに七十二候(しちじゅうにこう)がありますが、江戸時代に天文暦学者である渋川春海(しぶかわ しゅんかい)により、日本の風土に合わせた暦として改訂されたものが「本朝七十二候」です。これは明治にも改訂されたようですが、暦と季節がずれてしまった今日「改訂平成版」があってもよさそうですね。

今年の立春は2月4日で、旧暦では1月2日でした。冬から春に切り替わる節目の日なのですが、立春をとうに過ぎた今週に入っても都内に雪は降り積もり、寒さが和らぐ気配を感じることが出来ません。しかし既に昔から暦と季節とのずれはあり、それは和歌となっています。

 春立つといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらむ <壬生忠岑>
(立春を迎えたというだけで、雪深い吉野の山も今朝は春らしく霞んで見えるであろうか。)

初 夢

そして旧暦の1月2日は正月の二日目でもあり、その夜に見た夢・初夢が、新たな一年を象徴するとされます。

ながきよのとをのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな
「長き夜の遠の眠りの皆目覚め浪乗り船の音の良き哉」(回文歌)

 初夢に吉夢を見るために七福神の宝船の絵を枕の下に置き、その絵に上の歌を書いたり、又は3度読んで寝るという風習は室町時代からあったと言われております。

江戸時代には※1初夢は正月2日の夜に見るものとなり、現代でもそうした考えが残っているご家庭はまだまだあるのではないでしょうか。英語の「Good Night」を「お休みなさい」と訳することが多いですが、日本語の「お休みなさい」はどちらかと言うと「Sleep well」に近いですね。
毎日の生活においては「ゆっくりお休みなさい」でも充分ですが、初夢の夜には是非「よい夢を」「Sweet Dreams!」と言いたいものです。子供に対してはもちろん、パートナーに対してはかなりロマンチックに使えますね。江戸っ子もこの日だけはやっていたと(勝手に)想像するなら、恥ずかしさも半減するというものです。

※1 「大晦日から元旦」、「2日から3日」の説もある。

最後に

各季節の始まりの日の前日は、「季節を分ける」意味で節分と言います。しかし旧暦では立春を年の変わり目ととらえており、一番重要な境の日ということで、節分は立春の前日だけをさすようになりました。現代で節分と言うと2月3日の豆撒きを指しますが、「立夏」の、「立秋」の、「立冬」の前日もまた、季節の分け目「節分」なのでございます。

女の子の名前で「節子」は、1932年から1939年までは常に第三位でした。因に第1位と第2位はこちらもずっと「和子」と「幸子」です。その鉄壁の順位が入れ替わる1940年、第1位に「紀子」が台頭し、以下「和子」「幸子」と続き、「節子」は第4位に後退します。翌年に「紀子」はトップテンから姿を消し、入れ替わりに「洋子」が入った事で「節子」は第4位を保ったまま、敗戦の、原爆投下の年1945年を迎えます。翌年から順位の変動がありながらもランクインし続け、テレビ放映開始、家電元年言われた1953年を最後に、「節子」はランク外へと姿を消しました。そして日米平和条約が発効された1952年を最後に、「和子」も順位を落として行きました。「節子」が初めてトップテン入りした1927年は昭和元年。ここから「節目」を意識した子供の名前が流行り出し、戦争終結までそれは続きます。

前置きがとても長くなりましたが、申し上げたいことは唯一つです。我々現代人が「節目」に対する興味を失い、様々な行事やそれに対する意識が廃れてしまったことが、「再出発」や「再生」という機会を失わせています。1日・季節・1年という節目節目を生きる姿勢が、人生における挫折や失敗を乗り越え、やり直すチャンスになるという事を、どうぞ思い出してください。よい春をお迎えくださいませ。

代表 和城伊勢
 

処世訓


はじめに
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(意訳)
一人前の男(ますらお)は、ただ今日一日にすべき事を全うすべきである。
(その)一日を積み上げて一ヶ月になり、一ヶ月を積み上げて一年になり、
(更に)一年を積み上げて十年となる。十年は積み重なって百年になる。
一日(の基になるの)は一時(約2時間)にあって、一時(の基になるの)は
一刻(約30分)にあり、一刻も(基となるのは)余りある一分(約3分)にある。
このことから、千万年に値する務めも一分より始まって一日のうちには
究まるものである。だから一分の時間をおろそかにすれば、ついに一日
おろそかにすることとなり、終わりには一生の怠慢ともなってしまう

 前ページのものは、私の実家に残された父の処世訓でございます。これとは別に家訓として「不言実行」があり、実家の皆の目に留り易い場所へ常にかけてあった記憶がございます。
家長制度が衰退しつつある現代では家訓よりも、生きて行く上で役立つ教えとして、一人一人が定めた処世訓の方が馴染み易いのではないでしょうか。

芝講師の処世訓

芝講師が残された江戸しぐさこそが私の処世訓であり、頂いた言葉は座右の銘となりました。
ここでいくつかエピソードをご紹介させていただきましょう。
・一つの事が出来ずして、やたら趣味を多くしない。
・世間の動きにアンテナを張れ。
・食事をおろそかにするべからず。豊かな感性はうまれない。

最後に

「自分の目指す生き方、理想とするスタイルを持つ事」の大切さは、家訓、処世訓、人生訓、座右の銘、信条、モットー、指針、…と実に様々な言葉があることでも解ります。そのどれもが「一度決めてしまったら一生替えられないもの」だとしたら、そう易々とは決める事は出来ませんね。しかし上へ上へと伸びたかった頃の自分と、今立っている場所ですでに満足した自分では、人生に求めるものは大きく違って来ます。
因に私は、最近流行っている「断捨離」に注目しております。心の執着を手放し、純粋に江戸しぐさを広めることこそ、理想とするこれからの生き方でございます。

代表 和城伊勢
 

心の大掃除

心の大掃除

はじめに

旧暦の12月13日は江戸城大奥における、煤(スス)払いの日でありました。煤払いは正月の神事が始まる第一日目とされており、準備の前に何よりも先ずは汚れと穢れを落すことが重要だったのでしょう。
皆様のお宅でも、そろそろ大掃除の準備を始めていらっしゃるのではないでしょうか。
家の汚れと共に、今年一年溜まってしまった自らの穢れを半月かけて落し、より清々しい新年を迎えられるよう、知恵を出し合ってみたいと思います。

大掃除

芝講師は色の中で取り分け「白」がお好きでした。その第一の理由は「清潔であるから」で、次に「何色にも染まるから」だそうです。

家電業界ではいわゆる「白もの家電」というのがあります。「冷蔵庫」「洗濯機」「炊飯器」「電子レンジ」「エアコン」といったものが代表で、メーカー側も「カラーバリエーションが豊富です」と謳っていながら、実は「白」の台数を一番多く製造していました。

ところが最近では「白」に拘らない傾向が増え、この「白もの」の売れ行きがよく無いというのです。「個性を求める」「趣味が多様化」はいいのですが、「汚れが目立たない」が、その理由の上位にある現実には不安を覚えます。「汚れが目立ない様、常に清潔にしておく」のが面倒なので、はなから汚れが目立たないものを選ぶ。それですと、目立たなくても汚れはそこにあるのです。

そういう発想は、身の回りだけでなく心の中にも芽生えて来るものではないでしょうか。私も含め、皆様の心の中の大掃除をするきっかけになればと思っております。

最後に…

「 Simple life is the best. 」
来年は芝講師が信じたこの生き方を、見倣うに相応しい一年になりそうです。
清々しく迎える次の年がまた、皆様にとって良い年となりますよう心から願っております。


江戸の良さを見なおす会
代表 和城伊勢
 

廻弟子

廻弟子(まわしでし)


はじめに

この廻弟子(マワシデシ)とは、一見簡単に読めそうで、実は知識のある方ほど読み方を迷うのだそうです。特に弟子ですが、「老子」などでは「テイシ」と読むようですが、江戸の町衆社会では「デシ」と読んでいました。
廻(マワシ)も、廻弟子の意味をご存知でしたら余計に(メグリ)とも読めてしまいますね。更に完全に意味を理解なさっている方なら、何故「回」(カイ)や「巡」(ジュン)を使わないかもお分かりになるでしょう。

回す?巡る?廻す(る)?

先ほどの「回」や「巡」の「マワシ」では無く、何故「廻」(メグル)を使うのでしょうか。
お分りの方も多いと存じますが、廻(メグル)には「輪廻」や「廻り廻って」などの言葉の様に、他の二つに比べて「元に戻ってくる」という意味が強く込められています。一方「回」は「回覧板」の様に、一定の輪の中をくるくると回ることを指し、「巡」は「巡業」や「巡回」にあるように、大きな輪の中を転々とする事を指し、やはり「戻る」ことの意味をあまり必要とはしていません。

本日はこの「元に戻る」ことがいかに大切かをお話してみたいと思います。

廻弟子の礼

「まわし弟子のしきたり」
弟子とは”仮のこども”という意味です。だれの仮の子かというと…
偉いBという先生がいます。Aは自分の父親には無い”ウデ”または”チエ”を持っているそのB師の門を叩き「教えてください」と請い、首尾よく願いがかなってB師の家に入れてもらえたとき、AはB師の弟子になったと言います。
AとAの親が納得してB師に感謝し、更にC師というB師には無い“ウデ”を持つ師に入門することを望めば、B師はC師に対して“入門願いと依頼”の手紙を書いてAに持たせ、C師の門をたたかせます。平たく言えば、これが“まわし弟子の礼”です。

(佐古玉美レポート)より抜粋

廻弟子の礼の「礼」とは、「型」や「しきたり」を意味します。現代では、「礼」というと「お礼を言う」などで使う様に、「<感謝や敬う気持ち>という概念」の意味で捉える方が多いかもしれません。しかしここでは「型」として使っています。ついでながら、旧大日本帝国陸・海軍で「敬礼」は、「<敬>という<型>をとれ!」という意味の軍隊用語であったそうです。「敬う型をとれ」とは、「心はこもってなくて良いの?」等と口を挟みたくなりますね。

両親は最初の師匠であり、次に自分の目指す道の師匠を見つけて弟子にして頂く。更にその道を極めんとして第三、第四の師匠の弟子となる。しかし、それぞれの師匠を超えることが出来ても、最初の師匠である両親を超える事は難しい。最後は両親の元へ戻り、人生という修行を続ける。これが人生ではないでしょうか。

最後に…

相撲や柔道、空手、剣道等の出稽古では、違う部屋(道場)に赴いて、いつもとは違う練習相手との取り組みによって技を磨きます。強い者が若い衆を育てる為に出向くこともあれば、更に強くなりたいと、強い者の胸を借りに行く場合もあります。※この「胸を借りる」とは、元々相撲用語であったようです。

自分の師匠(先輩)以外のからの教えを請うということは、新しい発見はもちろん、今まで正しいと信じて疑わなかったことを場合によっては否定されてしまうこともあるでしょう。
「それはそれ、これはこれ」と割り切ってしまうことの出来ない真っすぐな人ほど、そこで悩んでしまい、悪くすると挫折することもあり得ます。実に勿体ないことでございます。

師匠は、出稽古に行っても恥ずかしく無いだけの力量が弟子についたと判断したならば、どんどん廻弟子を勧め、自分では足りない箇所を、他の師匠の手を借りて伸ばして頂く。その際は先方に充分に礼を尽くす。この場合の礼は「型」だけでなく、感謝の気持ちも必要です。

現代では、一度自分の弟子や部下となった者を、ある程度まで育てたら、自分の手足にしてしまう風潮がありますね。特に政界、医学会などではそれが顕著に見られます。自分の派閥を離れたら「敵」扱いとは、師匠としての名が廃るというものです。
それが一般企業のことであったなら「勝手におやりなさい」と高みの見物を決め込んでいられますが、政治や医療となれば、そうもしてはいられません。
師匠たるもの、それぞれが廻弟子で良い人材を育てるという共通認識を元に、どうにかして江戸しぐさの精神に目覚めて頂けるような働きかけが出来ないものでしょうか。


代表 和城伊勢
 

強いと怖い

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はじめに

「地震・雷・火事・親父」と言えば、「恐ろしいもの」の代表ですね。しかし現代に生きる我々は、それらを本当に恐れていますか?

「恐ろしい」には、
1.危険を感じて、不安である。こわい。
2.程度がはなはだしい。
①驚くほどすぐれている。はかりしれない。
②驚きあきれるほどである。ひどい。

という意味があります。今日私達が同じ言葉を口にする際、1.もしくは 2.②の意味を連想します。しかし本来は、 2.①の意味での「恐いもの」の代表であったと考えます。「畏敬の念」の対象としてのベスト 4と言う訳です。そして現代でもそう感じられるようになって欲しいと願うのです。

順番も的確だとおもいませんか?予測は有る程度出来る様になったとは言え、地震は現代科学をもってしても避けられるものではありません。雷は、ある程度の精度の予報で被害を最小限にすることは出来ますが、落雷を止めることは出来なません。火事は予防が可能ですが、自然発火等、まだまだすべてをコントロールすることは出来ません。

では、最後の親父はどうでしょうか?ご一緒に考えてみたいと思います。

地震は恐ろしい?

江戸時代には、ナマズを題材とした鯰絵という名の錦絵が多く描かれました。確認されているだけで250点以上、実際にはそれを大きく上回る点数が発行されており、現在も筑波大学付属図書館や東京大学付属図書館等に所蔵されています。

鯰絵による物語には様々な種類があります。幕府に見立てた大ナマズを退治する風刺風のものもありますが、神様がナマズを閉じ込めて地震を防いだり、地震を起こしてしまったナマズが謝ってみたり、はたまた地震の復興景気の恩恵を受けた者がナマズに感謝したりと、地震絡みものもが多くみられます。

ここでのナマズに共通するものは、「人が太刀打ち出来ないもの」や「善きにしろ悪しきにしろ人の力を超えたもの」という点でしょうか。単純ですが純粋な「畏敬の念」を素直に感じることが出来ます。

また、大川(現在の隅田川)や神田川でマナズを飼って、江戸の町衆らが地震の予知のようなことをしていたらしいというお話を NHKの番組で見たことがあります。さしずめ鯰講といったところでしょうか。江戸っ子のことですから、密かにカケの対象にしたかもしれません。

鯰絵は、何が原因かは分からないけれど、止めることの出来ない危険な地震への警鐘と、日頃からの備えの必要性を万民に知らしめる重要な役目も持っていたようです。ただ単に怖がらせるのではなく、江戸時代、江戸っ子の遊び心が多くの鯰絵を生み出したのでしょう。

余談ですが、水戸光圀も要石(鹿島神宮)について記述しています。鯰があばれないように石を積んで、地震が起きないように祈ったという逸話もあるようですが、実はこの鯰は龍では?とも言われたようです。地と天の違いはありますが、両者共、長くてニョロリとしています。江戸時代の人達がなぜ地震の元をそういったものに例えたのか、是非調べてみたいと思います。皆さんはご存知でしょうか?

雷は恐ろしい

「ゆうだちやさっと吹き来る・・・ピカピカ、おおこわ雷さんはこわけれど・・・」という江戸小唄もございますように、ただ恐れるだけでなくこのように自然現象に対する親しみや、恐れを利用する強(したた)かさを含んだ唄も残されています。

江戸の町衆は、例え悪いことであっても、すべてをありのままに受け入れ、またそれを楽しむことの出来る才能を持っていたのでしょう。
因に、雷はその恐ろしさが強い者への憧れに転じ、英雄や力強さのシンボルでもありました。金太郎は雷を父に持ち、担ぐまさかりこそ、イナズマの象徴であるという節もあるようです。

火事は恐ろしい

江戸火消しの地震番も、町衆を中心に講を組んでいたようです。いざというときのバケツ(桶)リレー・角々の天水槽・隣の家の取り壊しは、版画などでもよく見かける風景ですね。

突然ですがお宅では消火器は備えていますか?家庭では大きな消火器は手間取るばかりで余り効率が良くないようです。ちなみに、芝講師は防災関連の会社のコンサルタントをなさっていたことがありました。そのようなことから消防に対する知識は豊富で、実演してくださった際のホースを持つしぐさには、凄みすら覚えました。

ところで、近年は町内の消防団に入る人が少なくなったとよく耳にします。相互扶助の精神が理解できない若者が多くなった。これは困ったものだと嘆いても、みんなでなんとかしよう・・と実際に集まる有志は少なくなる一方です。

些細なことでも事件にまきこまれないとは限りませんし、天災が起こってから出来ることは少ないでしょう。常に「もしもの備え」が重要です。下の事柄は、芝講師が実行なさっていたことばかりです。なお、沢山持ち出せば良いとは限らないようです。

1 下着などを新調するとき、名前を書いておく。それを身に付けているとなんの誰べいであるか? (自らを告知できる)
2 ひとりにひとつ安全帽(ヘルメット)安全靴を持とう。玄関に備えておく。
3 お水をいれた容器を備えておこう。大きいボトル2~3本。少々の火災でも断水でもこれですぐ対応することができる。
4 非常持ち出し袋の中を時々チェクしよう。軍手・手ぬぐい・タオル・帽子・靴下・薬・食品少々・お水(ペットボトル)・プラスチックのコップ・ラジオ・涸形燃料・アルミ皿・端布・スプーン・箸等

 今月は防災の月でもあります。より便利で効果的なものがあれば、それに直して実践してみませんか。ご一緒に現代に直して考えてみましょう。

災害時に何よりも重要なのが、家族がどこでどう落ち合うかということです。通信機器は一切使えないという前提で、待ち合わせの場所を確認しておきましょう。その際、通常の町並みが一瞬にして変わってしまうことも想定し、候補を二つ三つは挙げておきたいものです。

場所ではない共通認識、例えば「自宅のある地区で、現在一番多く収容出来る避難所」等、状況の変化への対応が必要です。みなさん何か良いアイディアがございましたらお話ください。

江戸の良さを見なおす会では、「人の為・社会の為に、自分が無理をせずに何が出来るか」を、これからも問題提起していこうと考えております。実際に今問題になっていることが身近
にございますか?

親父は恐ろしい?

子供を叱る役割を母親が担うのは、今では割と普通なことのようです。母親の教育方針に父親が口を挟もうものなら、ちょっとした騒動になりかねない …。この状況は、良い結果を生んでいますでしょうか?

少し語弊があるかもしれませんので付け足します。これは母親が女性だからダメというのではありません。親父役が女性であっても問題はないのです。ただ、母親役とセットであることが重要だと申しているのです。厳しく躾ける役と、あるがままを受け入れ、包み込む役。需要なのはバランスですね。もっと言ってしまえば、親父役と母親役を一人がこなせることだってあると思います。保護者の威厳と包容力を子供に感じさせてあげてください。

家族の在り方が多様化している今日では、芝講師が理想としていた「江戸時代の様に両親が揃い、父親が子育ての主導を握る理想の家庭」を基準としてお話するのはかなり難しいことと思われます。とは言え、お箸の持ち方が美しいと褒めた際に「ありがとうございます。父(父親役)が躾に厳しかったもので」と、さらりと答える若者が増える未来を望んでしまうのは、やはり私が古い人間だからなのでしょうか、それとも先を行き過ぎているのでしょうか。

「我々はより広い世界の中の一員であるという」考えを強要された明治から徐々に、日本に定着していった「グローバリズム」は、家族という単位の需要性を端に追いやってしまいました。
今一度、個人ではなく「家族の幸せ」を最小単位と考えられる世の中を目指してみたいと思いませんか?それこそがグローバリズムの理想像であり、そうなってから「地球は一つの家族」と誇らしげに言ってみたいものです。現代に足りないのは、カミナリ親父なのかも…

和城流:ジシン・カミナリ・カジ・オヤジ

現代では、「自身(自信)・神なり・家事・親似」は、我々が蔑(ないがし)ろにしてきてしまったものの代表であると私は考えております。

-自身(自信)-
子供も親も、家族を顧みないで自分中心となってしまい、それは一見自分自身を大切にしているようですが、いま一つ自分に自信が持てない要因の一部となっています。家族と支え合っているという安心感は、個人の自信と深く繋がっているのではないでしょうか。

-神なり-
ここで言う「神」は、特定の宗教や信仰ではありません。言うなれば、自然を含めた「人がコントロール出来ないものすべて」のことです。「自然保護」という言葉がすっかり定着していますが、上の立ち場から「守る」というのではなく、「侵さない」という気持ちが必要な気がします。

-家事-
毎日の生活に必要な細々したことを、きちんとこなすことが大切です。便利さや合理性が、無駄としてしまうものの中にも、人間形勢に必要な部分があり、家族と協調する非常に良い訓練となるのです。家事は母親がやるものという考えをやめ、一人一人が出来る範囲で自分の世話をする。出来ない人の分は手伝う。家族でこれが出来ずに、社会で出来る筈はありません。

-親似-
育ててくれた両親に似ていたい(容姿ではありません)。心からそう思える人がどんどん増えていって欲しいと願います。愛し、敬えばこそ思えることですから。

最後に…

ここまで書いて、芝講師は日々の生活における一つ一つの小さなことから、このような大きな理想を伝えようとしていたのだなと、ようやくこの齢になって理解出来たような気がしております。
師匠と弟子。これもまた「親父と子供の関係」と言えますでしょうか。

代表 和城伊勢
 

芝流・江戸っ子

08

はじめに

本日は小林様に鎌倉の文化についてのお話をご披露頂きました。殆どの皆様が「八度の契り」をお済ませになられ、そろそろ「講」自体が次の段階に入れる状態になったと判断致しまして、今回お話をお願いしました。講元として目指す更に次の段階は、皆様の中から自発的に「講で話をしてみよう」とお申し出頂けるような状態を作り出すことです。

「自己主張ではなく、他を思いやっての自発的な主張」という「しぐさ」を促すことは、「江戸の良さを見なおす会」としても重要な役割の一つでございます。

「他の方にとってもこれは有益だろう」と思われる情報等を披露なさって下さる方がいらっしゃいましたら、どうぞお申し出くださいませ。私も皆様とご一緒により一層精進して参りたいと存じます。

一般的な江戸っ子とは…

 江戸っ子(えどっこ、江戸っ児)とは、江戸で生まれ育った生粋の江戸の住民を指す呼称。主に町人を指すが、武士や借家人を含むこともあり、明治の東京改称以後も旧江戸町民の主たる居住区であった下町地域出身者を指して呼称される場合もある(明治以後の江戸っ子を「東京っ子(とうきょうっこ)」と呼称する場合がある)。

Wikipedia引用
芝流・江戸っことは…

江戸を意味するものに、時代としての「江戸」と場所としての「江戸」がありますね。このことを頻繁に質問されるのですが、芝流の江戸っ子にはその両方が入っていると言えますし、入っていないとも言えてしまうのです。のらりくらりとごまかしている訳ではございません。「(江戸という時代と場所の)在りし日の良き考え・振る舞いを、一番わかり易い言葉で表したもの」それが芝講師の命名した「江戸しぐさ」であり、それらを日常において体現しながらより良き社会の実現を追求し続ける人々を芝講師は「江戸っ子」と定義したまでです。

ですから「場所なのか?時代なのか?」と詰問されても、答えとしては「どちらでもあり、どちらでもない」となってしまうのです。「白黒はっきりさせる」のも江戸っ子ですし「小さいことは気にしない」のも江戸っ子ですから。
江戸と言う場所は現代の東京都の一部です。皇居の南西ないし北に広がるっていた武家の町(山の手)と、東の隅田川をはじめとする数々の河川・堀に面した庶民の町(下町)に大別されていました。

ですからあまり場所にこだわって、東京以外の人は江戸っ子とは呼ばないというのはナンセンスと考えたのです。「三代前から住んでいて初めて江戸っ子を名乗れる」というのも俗説の域を脱しません。更に申せば江戸時代の江戸は、三都の中の江戸以外(京と大阪)の人からは「江戸とは地方出身者の吹きだまり」と揶揄されていたくらいでした。
そして時代にこだわると、江戸と明治をまたいだ頃の文化や慣習にのっとった良い点を省いてしまうことになります。そのようなことから時代も場所もあまり厳密にしないのが「芝流・江戸っ子」なのでございます。

最後に…

「江戸しぐさ」は江戸時代、江戸の町での良い風習・考えを現代に引き継ぐことが使命と考えますが、現代に合ったアレンジを否定するものではございません。


代表 和城伊勢

 

恥っさらし


34


「はじめに」

恥ずかしい、恥をかく、恥を捨てる、恥知らず、恥も外聞も無い、恥を知る、恥をすすぐ、恥じらう、恥を見す、恥しむ、そして恥さらし。日本語には「恥」と名のつく多くの言葉があります。

「日本人の恥に対する思想は一つの文化である」と、その独自性は昔の外国人から見ると、神秘にも思えたようです。現代の日本人も諸外国と比べ「恥ずかしがりや」な国民という印象を持たれることが多いと聞きますが、恥ずかしがると「恥」は別物です。

江戸しぐさでは「現在でも同じ言葉で使うのにその意味合いが違う」というものがいくつも出てきます。今回の恥もその一つ。言葉は生き物で、昔のものが正しいとは限りません。しかし、時代や流行によって変わっていく「形式」、スタイルとは違い、江戸しぐさの「本質」は普遍なのです。

もちろん芝講師の時代と私の時代では、同じしぐさのお話でも全く同じでは通用しません。
「芝講師ならもっと上手くお話になったはず…」このように恥ていても仕方がありませんので、
早速本題に入らせて頂くといたしましょう。

恥っさらし

芝講師は、特に恥っさらしな行いの一つに水母(くらげ)※1を挙げていました。これに比べれば時泥棒は可愛いもの。何故なら、遅れたり無駄に時間を延ばして迷惑をかけた相手の態度から、自分がしたことの申し訳なさを感じ取ることで、非礼をその場で反省することができるからです。一方、水母はその場に来ないのですから恥をかく機会がありません。後日会ったとしても、その頃には申し訳なさも薄れ、効果は半減してしまいます。

江戸しぐさは真剣しぐさ:
真剣本来の意味は、木刀や竹刀に対して本物の刀剣を言う。転じて江戸しぐさでは、生きている瞬間瞬間が、真剣勝負という考え方。具体例をあげてみると、例えば、今夕のひめこVIP茶論に参席することを約束したとしよう。1992年11月6日。午後7時00分。(これを顔見せ日という)当日になって、「都合が悪くなったので」式の言い訳で出席しないのは、全員に対する反逆行為とみなす。ただし、
(1) 本人死亡
(2) 本人の子どもの急病
(3) 地震・火事などの場合は、この限りにあらず
、となる。これをいま流に言えば、毎回毎回、いかなる人に対しても態度を変えず、まじめ(真剣)に接するという生活様式が「あきんどの道(みち)」ということになろうか。つまり、江戸商人のみずから自然にできあがった哲学が江戸しぐさであり、えどしぐさという人間の生き方、考え方が、また江戸商人の商人道(略して商道)を作りあげていったともいえよう。

[1992年11月9日ひめこVIP茶論]より
恥の心得

今日私たちが「恥ずかしい」と感じる状況を想像してみましょう。恥ずかしさのあまり「穴があったら入りたい」などと思ってしまうのは、

・ 間違えてしまった
・ 失敗してしまった
・ 非常識なことをしてしまった
・ 目立ってしまった

ような状況におかれた時です。これらで感じる恥の多くは、「他人と比較した自分」の言動や存在を他人目線で想像し、「自分が人より下に見られている」と感じ取った結果生じたもの。と言えるでしょう。

同様に、私たちが一生の内で何度か感じることがあるかもしれない「恥ずかしくて死んでしまいたい」という激情も、「他人にどう見られるか」という虚栄心による、一過性のものとお分かり頂けるといいのですが。自分が思っているほどのことを他人は感じていない。そう思えるかどうかで現代の恥の受け止め方は違ってきます。

しかし今であれ昔であれ、まさしく恥に値するのに当の本人は恥と思っていないことも多くあります。

・ 陥れること
・ 盗むこと
・ 傷つけること
・ 約束を守らないこと
・ 法を犯すこと

これらは法や社会から罰せられるものではありますが、だからといって自らの過ちを恥と思わなければ誰も救われません。それこそが最悪の罪ではないでしょうか。

江戸しぐさで言う恥とは、自分自身に対する戒めの心。自責の念にかられる程のものであり、他人にどう思われるかを憂うものではないのです。

人恥さらすは自分の恥

口に出してはならない言葉。
下のような言葉を使うのは恥であると心得よ。
・ 「お忙しいでしょう」「お忙しい方ですから」「お忙しいらしいわよ」
・ 「お疲れでしょう」「お疲れになりませんか」「お疲れのようでした」
・ 「お忘れですか」「お忘れになりましたね」「あの方の忘れ物」
・ 「くさやはお好きですか」「ひかりものはおきらいですか」「あの人はきらい」

[1992年11月9日ひめこVIP茶論]より

例にあるように、他人の状況や行いの裏を勝手に推察して口に出したり、それを第三者へ話すこと厳しく戒められました。悪口などは以ての外。しかし相手を慮る(おもんばかる)ことの何が悪いのか、最初はよく理解できませんでした。

自分と同様に、人にはそれぞれ言葉や態度に出さない考えがあります。当人があえて表に出さないものを他人が露にするのは失礼である。今はこのように理解しております。
恥を捨てるは己を拾う

・出来ないことは恥ずかしいこと
・いじめられるのは恥ずかしいこと
・ 一人でいるのは恥ずかしいこと
・ 人と違うのは恥ずかしいこと
・ 否定されるのは恥ずかしいこと

このような歪んだ先入観により、社会生活を拒否したり自らの命を軽んじる方が多い状況は、嘆かわしいことに芝講師がご健在の頃から少しも改善していません。むしろ悪化の一途を辿っています。

間違った恥を恥と感じている本人だけでなく、そう思わせる歪んだ社会的風潮を消すことが、真の江戸っ子社会を作り出す第一歩です。講師の教えには、

・出来ない人を助けない自分を恥じよ
・ いじめる自分を恥じよ
・ 一人になれない自分を恥じよ
・ 己のない自分を恥じよ
・ 否定する自分を恥じよ

という、まったく逆のものがありました。こうして書き出すとあたりまえのことにしか見えませんが、学校でも社会でも家庭でもこれらが徹底されていれば、違った日本になるのではないでしょうか。

本日のまとめ

復興どころか未だ復旧しない被災地。低迷する経済。混乱する政治。それらに翻弄され、いつ晴れるかわかならい暗雲の中で生きることを余儀なくされている国民。
誰が悪いのか、何が悪いのか。考えても仕方のないことを考えずにはいられないほどの閉塞感に苛まれた私たちですが、一人一人の義務が少しずつ果たされなくなった結果が、今のこの生活に反映していると考えてみませんか。

江戸しぐさでいう「恥」を知ることで、一人一人が自分の人生、役目、仕事に対して真摯な態度で向き合いなおしてくださることを心から願っております。

私ごとですが、ここ数年、齢90を超える義父の世話を講の開催と平行してやってまいりました。私が留守の間は夫が代わりを引き受けてくれていますが、やはり毎回心苦しく、特に震災後は東京に来る度に心配でたまらない日々を送っておりました。そんな中、今回改めて私自身の恥とは何か考えましたところ、

社会奉仕しないこと。
家族の幸せを守れないこと。

この二つが出来なければ私の恥となる、という考えに至りました。つきましては来年4月からの講は不定期とさせて頂くことしました。

少し時間を置き、熟成させた江戸しぐさをご披露させて頂けるよう引き続き精進して参りますので、どうぞご期待くださいませ。


代表 和城伊勢
 

文攻め

09


はじめに

文月とは現代の 7月のことですが、旧暦では 7月の下旬から 9月の上旬頃にあたります。
文月の語源は、短冊に歌や字を書いて書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされる他、陰暦七月に稲穂が膨らむ月であるため「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とするなど諸説あるようです。
本日はこれらに因んだお題、文攻め(ふぜめ)についてお話させて頂きます。

現代のコミュニケーションについて

現代のコミュニケーションツールの筆頭には、携帯メールが挙げられます。手軽さと、安価な料金も然ることながら、その即時性も理由の一つになっているようです。続いて E-mail、携帯電話での会話があり、コミュニケーションの本来の姿であって欲しい「直接会って話す」機会はかなり減ってしまったように思われます。

また、ブログや Twitter等における、どこか自己完結的な発言も増え、ツールや一人当たりの発言数はどんどん増えています。しかし江戸っ子とのそれと比べた場合に、私たちのコミュニケーションの方がより豊かであると言えるでしょうか?

自分を含め、発する言葉(口でも文字でも)が増えれば増えるほど、なんだかそれらは独り言のような気がしてしまいます。と言っても、共感されたいというのとはまたちょっと違うのです。便利でも、あまりスマートでもない「リアルなコミュニケーション」の不足が日本人の「人間力」を低下させているのではないか?そのようなことを日々考えながら過ごしていたところ、芝講師がお書きになったこんな資料が出て来ましたのでご紹介させて頂きます。

 (原文ママ)(一部抜粋)
忙しくてもたのしいのは、未知の方からお便りをいただくことです。電話だと、尾籠なことですが、トイレに行きたくて、うずうずしている時でも、約束時間に遅れそうでいらいらいしている時でも、サッと出なくてはなりません。(夏目)漱石が、電話は失敬な機械だ、とか言ったというのもわかるような気がします。江戸時代にはテレフォンなんていう、まことに不快な通信手段はなく、それだけでも、その当時の人びとは、仕合わせだったというべきでしょう。
とは言っても、その頃でも今のデンワと同じ様な、不愉快なおもいは体験していたようです。それは、いきなり、人がやって来ることです。江戸には”なんの前触れもしないで、人を訪ねれば、水をかけられても、文句はいえない”という掟があったようです。人を尋ねたい時は、「何時いつ日(か)に参上したいが …」という文を送り、つまり文攻めします。受け手は「どうぞ」とか「お待ちしております」とか、時には「困る」とか、「待って欲しい」とか返事をするわけですが、送り手は、受け手が返事を書く時間と、その返事がこちらに届くまでの十分な時間をみこして、Äul文Äb0攻めÄb0ÄulnoneÄstrike0をしないといけませんでした。(中略)これに慣れるとコミュニケーションの別世界を発見されるはずです。あさっての、夜 9時にベルが鳴るなんて、ワクワクしながら待っているのは、ほんとに、たのしいものです。

[レポート「江戸の心」新 5 49.6.29]より抜粋
手紙について…

芝講師がおっしゃっているように、コミュニケーション能力を豊かにする効果的な方法として、私も是非皆様へ「手紙を書く」ことをお勧めいたします。とは言え、一定以上の年代の方々は、手紙をしたためる習慣が既におありだと存じます。

本日お集りの皆様も、年代は問わずお手紙のマナーはすでに取得されたばかりとお見受けいたします。しかしながら、ここは一緒になって初心に戻り、手紙というものを再度掘り下げ、芝講師の言わんとする「文攻め」について考えてみたいと思います。

手紙の役割

手紙には
1.相手に必要であると思われる情報、又は共有して頂きたい情報を正確にお伝えする
2.お伝えした情報に対する返答を頂戴する(必要無い場合はお返事無用の意思を添える)

という内容が書かれていれば「手紙」としての用を成します。
ただ、これだけならば、携帯メールでも E-mailでも同じように相手に情報を伝え、返事を受け取ることが出来ます。では手紙ならでは役割とは一体何でしょうか。

手紙よって培われるもの

1.教養(挨拶、語彙、漢字、表現力、文章、習字、計算、歴史、一般知識、美学)
2.思いやり(相手の置かれている状況、環境、精神状態を察知し配慮する)
3.社会的エチケット(時泥棒しない為の準備や気配り)
4.推測力(直接的な言葉で書かれていない心情を読み取る力)

手紙の効果

手紙を出す時は事務的な伝達だけでなく、次回お会いした際の会話に役に立つ予備知識も添えることで、今後「実際にお会いしたい」という意思を表現します。もちろんこれもメール等で伝えることは可能です。ただ、現代のツールを使う際は「端的に、簡潔に」必要最低限の言葉を使い、言葉の余韻や含みは「絵文字」に任せるのが基本となっていますね。しかし困ったことに、それらには実は共通認識というものが曖昧で、出し手と受け手で気持ちのズレがあってもなかなか気づかないことがあります。そして絵文字の最大の欠点は、機種が違えば正確に表示されないこともある!ということです。

最も健全で、人間力をより育めるコミュニケーションの方法は、実際に会って話すことだと思います。しかし何事にも準備や練習が必要なように、本当に相手と豊かなコミュニケーション望むなら、手紙を出し合ってお互いの準備は、いくら手間がかかったとしてもやはり良いものだと思うのです。

最後に

江戸の良さを見なおす会には、芝講師の書簡が資料として大量に残されております。これは、芝講師が「会のみなさんに見本の一つとしてもらいたい」というご意志を尊重した結果です。今後はそういった資料をもっと皆様にご覧頂き、手紙を普及させて行きたいと考えております。

また、私は手紙とは原稿であり、お互いのやりとりで紡ぎ出される文章の集まりが織りなして出来た一つの物語だとも思っております。どうぞ皆様も日々、素敵な物語を生み出してくださいませ。

代表 和城伊勢

 

言の葉

07


はじめに

 「椋鳥の言葉は世の中をトゲトゲしくする」江戸ではそう言って忌み嫌いました。
椋鳥とは物の言い方を知らない「ぽっとで」という意味です。
椋鳥は、人間より「金」や「物」を大事にする。その発想が「人間優先」の江戸っ子とは違う。だから受け入れられない。方言や訛を気にする前に考え方をかえよ!と言うのです。

江戸の良さを見なおす会 連載講座A[江戸町衆の世界]より抜粋

6月に入ってすぐの気象庁速報では、関東の今年の梅雨入りは6月8日頃でした。しかし本格的な梅雨入りは一昨日からと間際になって訂正され、更に昨日も随分と晴れていましたね。
また「日本の鉄道は世界的に類を見ない正確さで運行される」というのは世界共通の認識となっていますが、実際近頃の都内のダイヤの乱れはいかがなものでしょうか?
もちろん今でも世界的に見たらまだまだ「正確」なのでしょうが、もっと正確だった頃を基準にしてみると「遅れる事が多いなぁと」感じてしまうのです。

このように「予報」「予定」に対する基準を受取る側が少し変えると物事が窮屈でなくなる場合がございます。もちろん、情報・言葉を発する側がより正確であるよう努力する事は言うまでもありません。しかしながら発する方の心遣いと、受取る人の心の持ち様で、両者の関係がまるく収まるということもまた事実です。
今回の講では、芝講師が色々な立場から「ことば」についてまとめたものを発表し、それを我々の住む現代の社会で活用する方法を皆様と模索したいと考えております。

言ってはならぬ言葉…

 例えば、なぐる、ける、殺すなど、精神的に匕首を持つ言葉やウソ・ホントのように、人を疑う言葉は口にしてはいけない言葉でした。また、「ごぞんじですか?」これは相手は自分よりも常に博識と考え、その人に向かって知ってますか?ときくのは、とんだ非常識という理由で禁句でした。知ってる?ときけたのは、稚児に対してだけでした。
(中略)離婚や五月病の原因も、トゲトゲ言葉の乱用にあるようです。

江戸の良さを見なおす会 連載講座A[江戸町衆の世界]より抜粋

ではどのように言い換えればいいのでしょう?
□ ウソ・ホント? →
□ ご存知ですか? →
□ トゲトゲ言葉の例と、それを柔らかく言い換えた例 →

※ 職場や家庭内で、「あんな言い方をしなければ良かった…」と後悔したことがございましたら、その例を挙げてください。どのような言葉が「刃物ことば」になり易く、またそれをどのように言い換えると相手を傷つけないで、尚且つ本意が伝わるかを考えてみましょう。

相手によって「ことば」を変えるのが江戸っ子です

 例えば、土産の菓子をもって帰った父親が、2〜5歳の子なら、「お菓子、どうかい?」と言い、6〜9歳なら「…どうだい?」、10から14歳なら「…どうだ?」と言った具合です。父親の言葉の使いわけで、「ボクはお兄ちゃん扱いされている」優越感と責任感、父の威厳や愛情を肌で感じて成長し、15歳になるまでに世辞を覚えました。

江戸の良さを見なおす会 連載講座A[江戸町衆の世界]より抜粋

「子供」と一括りにしないこと。大人がそういったきめ細かな配慮をすることで、それを身近に感じながら成長する子供は、「上下関係」「状況判断」を自然に身に付けられます。

流行言葉としては少々古いかもしれませんが、KY(その場の空気が読めない人)などという言葉が生まれた背景には、若者同士でも状況判断の下手な仲間へのいらだちがあるのでしょう。

江戸言葉

 江戸言葉というと、候文やベランメ口調を連想されがちですが、前者は主として公用、後者は下衆言葉で、町衆の日常語とは言えません。
町衆は、助詞の一字まで正しく使い分けました。(中略)江戸言葉は、元来正確な言葉でした。(中略)
最近、日本語が乱れていると聞きます。「(※判読不能)」が「(※判読不能)」自体と思われていた江戸では、言葉の乱れは生活の乱れを意味しました。

江戸の良さを見なおす会 連載講座A[江戸町衆の世界]より抜粋

数年前、「ら抜き言葉は日本語の乱れ」として問題になった時がありました。しかし今日では「れる」「られる」も日本語として市民権を得てしまい、もしも「ら抜き言葉ですよ」等と言おうものなら「細かい人」や「面倒臭い人」と言われかねません。
そういったくだけた言葉使いと、正しい言葉、正式な文章を使い分けられる人材は、不況の中でもきっと職を手にすることが出来るはずです。少なくとも私はそのような方達と一緒にお仕事がしたいです。

最後に…

 (中略)この思想が専門分野・共同作業・大量生産化をさらに促進させ、同時に「他人様の領分を侵さない」という江戸っ子の気質を作りました。
(中略)言葉という大道具を相手によって使い分け、丁寧にはより丁寧に、狼藉には手斧言葉で立ち向かいました。「荒い言葉を使われたら、原因は己にあると思え」が江戸の教えでした。

江戸の良さを見なおす会 連載講座A[江戸町衆の世界]より抜粋

インターネットや携帯電話等が普及した現代では、情報や言葉の量やスピードがケタ違いになったことにより、ことばの正確さと価値が低くなってしまいました。道具の便利さの恩恵にはありがたく与っておりますが、「正しくなくても早く発信することに意義が在り、間違っていたらすぐ直せばよい」という考えはには、どうも納得出来ません。

皆様はどうお考えでしょうか?

代表 和城伊勢
 

健やかな人

06

はじめに

4月頃から徐々に増え、5月も中頃になると毎日の様に新聞やニュースで目に耳にするのが鬱や5月病に起因する犯罪、自殺者増加の話題です。とてもデリケートな問題ですので、講にて取り上げるべきかどうか正直とても迷いました。しかし年々増加する一方で、しかも善悪では片付けきれない、決して他人事ではないこの問題について、本日は皆様とじっくりお話合いをさせて頂きたいと存じます。

内閣府の資料から現状を見ると…

原因・動機別の自殺者数の推移は昭和53年から平成20年までずっと変わらずに健康問題がワースト1、次に経済・生活問題となっています。男性は45歳から64歳がここ10年間突出しており、家庭においても社会においても非常に重要な役割を担っているだろう年代の喪失は、家族はもちろん国家においてもその損失は甚大であると言えましょう。

最初にお断りしておきますが本日の講において、鬱や5月病に対しての医学的な言及は素人として避けさせて頂きます。ただ病気というだけでなく、「気持ちの問題」が心と体の健やかさを冒しているのならば、それは芝講師のおっしゃる「江戸っ子」を見倣う事で、少しは緩和されるのではないでしょうか。

江戸っ子の健やかさ

江戸っ子というと、「気っ風の良さ」や「切れのある啖呵」、「火事と喧嘩は江戸の華」、「宵越しの金は持たない」などに象徴されることが多く、私も表面的に江戸っ子を知った気になっておりました。つまり「ちょっと短気でズバっと物を言うが情深く、あまり後先考えることのない、怖い者知らずである上に賑やかな事が大好き」なのが江戸っ子気質なのだと。

しかしすべてはその逆であったのだと、芝講師のお話から読み取る事が出来ました。つまり、

・「気っ風」の良さ、切れのある啖呵
→常に物事を深いところまで考え抜く訓練をしているので、瞬時に裏の裏まで考え抜いて答えを出すことが出来た。(出来ない人が判断を誤った。うっかり八兵衛はその象徴?)

・火事と喧嘩は江戸の華
→決してそれらが好きだった訳ではなく、常にいつ起こってもおかしく無い危険にさらされていた。故に対処法も自然と身に付いていたのでしょう。野次馬が群がっていたのは、実は悲惨な現場を他人事として、やいのやいのと高みの見物をしていたのではなく、自分の身に起こった場合の対処法を学ぶ為だったのかもしれません。

・宵越しの金を持たない
→これも実は「明日は明日の風が吹く」などという気っ風の良さではなく、いつ何時火事にあって財産が灰になってしまうかもしれないし、それでなくてもいつ喧嘩に巻き込まれて死んでもおかしくは無い。そんな日常を生きていた、むしろ「後ろ向き」な発想から生じたとも考えられます。

唯一平安の長く続いた時代と称されることが多い江戸時代も、人々の暮らしの中には鬱々としたものは決して少なくなかったように思います。現代の私たちにどこか似ていませんか?
当たり前と思っていたことも、視点を変えるだけでずいぶんと違ったものになります。
思い込みを一旦無くし、柔らかな心と頭で以下の芝講師の教えについて考えてみましょう。

自分が健やかでいるために。

(順不同)
1. 心と体に溜めない

2. 心と体に無理を強いない

3. 新緑は新力であると考える

4. 恥と思う尺度、基準を見なおしてみる

5. 発言する前に、シュミレーションを

6. 気の病に効く江戸の教え…「一に睡眠、二に睡眠、三に赤ナス(トマト)」

※江戸時代のトマトは唐柿と呼ばれ、鑑賞用でした。食用として利用される様になったのは明治以降なので、ここでは「時代の江戸」ではなく「地域の江戸」と考えてください。

7. 状況によって言いたくても言えない場合、自分宛に葉書(手紙)を書いて出す。

8. 自分が考えながら生きて来た証として、今日の自分を書き残す。明日の自分へ、一年後の自分へ。

9. 愛する人のいる場合は明日の君へ、一年後の君へ…。(その場で言ってケンカになることも避けられますね)
→ きっと最高のラブレターになるでしょう。

10. 食べ物よって生かされていること事への感謝の念を思い出す。(宗教観は抜き。)毎日の食事を記録する事で、食事の偏りを客観的にチェックする。また、動植物の命を頂いているという意識を持つと、環境への労りの心も芽生えますね。何かの命を意識し始めたら、きっと自分の命の光も見ない振りは出来なくなるでしょう。例え小さな灯にしか感じられず、その温もりは自分にはもはや価値は無いと思っても、どこかの誰かに、又は何かに必要でないと果たして言い切れますでしょうか。

周りの人々が健やかでいられるように。

1. 相談されたら話をまず聞いて、否定をしない

2. 無理をさせない

3. 人の意見に差し言葉を言わない(ウソ?、ホント?など)

4. 人の意見を遮らず、最後まで聞く

5. 寛容さを身につける

最後に…

本日はとても重くて語り難い話題を皆様に持ちかけてしまいましたこと、本当にこれで良かったのかと今でも不安に思っております。しかしながら「禁忌」とされがちな話題も、他の方と共有し、こうして真摯に話し合う事で、なにかしら良い状況を生み出すことが出来るのではないかという希望を持って本日の講に臨みました。

芝講師が講を通し伝えたかった事の一つに、「自分の為は人の為。人の為は自分の為。」という考えがあると感じております。自分も他人も幸せに生きる方法を模索し続けた中、出会ったいくつもの「江戸しぐさ」という先人の知恵。今後も、皆様の心と体の真の健やかさを保つ知恵、手段の一つとして「江戸しぐさ」・「江戸の良さを見なおす会」をご活用頂けたらと心より願っております。

代表 和城伊勢

 

心構え

「心構え」について

江戸の講は、すでに申し上げましたように講義の『講』ではありません。したがって、講師も『テダテのオサ』と呼びます。オサは長という意味です。
ですから講師は今の先生よりも、むしろグループリーダーとかオーケストラのコンダクターに近い役目の人となりますね。

江戸の良さを見なおす会 1977年4月講の・抜粋1

江戸の講の講師は、まさに講の指揮者か案内人です。先生を指揮者に、生徒を団員に置き換えてみるとその違いがわかり易くなります。団員はそれぞれの楽器から選ばれたプロであり、指揮者はそのプロ達を生かして一つの作品を作ります。ですから皆様にもお一人お一人が「人生のプロ」として参加なさって頂きたいのでございます。

 いうまでもなく、管弦楽や合唱は、一人でも遅刻したらオーケストラやコーラスはおじゃんです。どんなに名指揮者と名演奏家の揃った楽団でも、あるパートが抜けてしまったら歌曲はなりたちません。江戸では約束の時間に遅れることを『時泥棒』と呼んで、ときには普通の泥棒よりも悪いとさえ言われたようです。

江戸の良さを見なおす会 1977年4月講の・抜粋2

時には金品を盗む泥棒よりも悪いとさえ言われた時泥棒。もちろん一般の家庭に時計など無い時代のこと、太陽の高さや鐘の音を頼りに「今なん時だい?」「ぼちぼち酉の刻よ」といった、現代からするとかなりアバウトな時の概念ではあったものの、時間を守る大切さは現代よりも厳しくしつけられていたようです。

 それは『時』という弁済不可能な共有財産を大勢の人々から同時に奪ってしまうためでしょう。では已む無く遅れ(る)場合や、遅れ(た)場合のてだてはどうすればよいでしょう。それこそ体で学習するのが「講」なのです。

江戸の良さを見なおす会 1977年4月講の・抜粋3

現在の私たちの講では遅れたからといって、講元が怒ったり「どうぞお辞めください」などと申し上げることはございません。皆様お忙しい時間を削ってまで来られている方々ばかりなのですから、むしろそちらの方が大事と考えます。よって抜粋3の解釈は、「時間に遅れるということが、お約束をした方全員に対し、いかに悪い事をしたと知っているかどうか」ということなのです。知っていれば自ずと「申し訳ない」という気持ちが言葉に、態度に自然に表れます。遅れたのがご自分であればどんなに反省なさっても良いのですが、他人様へはもうそれで充分と考えましょう。

そしてどなたも休まず、遅れず始められた講であれば、その日の講はもうそれだけで奇麗な音を奏でる準備が整ったことになるのです。

『時泥棒を亭主に持つな、水母を嫁にするな』という教訓が江戸に言い伝えられているようです。私共の会は、年齢、学歴、職業等は問いませんが、時泥棒と水母は絶対におおことわりします。

江戸の良さを見なおす会 1977年4月講の・抜粋4

江戸では約束した集まりに来たり来なかったりする人を「くらげ野郎」と呼び、軽蔑していたと芝講師がおっしゃっています。しかしくらげとは言い得て妙ですね。ひどい一撃を受けることは少ないけれど、ふらふらしたのが沢山いたら実際かなり困ります。

先月の花見講では「八度の契り」のお話をさせて頂きましたが、現代では「お試し」という制度が一般的なので、私共の会へもどんどんお試しで来て頂きたいと思っております。
しかしながら少なくとも連続して数回来て頂き、見極めて頂くことが出来れば大変ありがたいですね。願わくば新たに参加なさる方皆様と「八度の契り」を交したいものでございます。

「友にはなりやすし されど 仲間にはなりがたし」という諺が江戸にあったようです。友達イコール仲間と思っている現代っ子には、この意味は理解出来ません。
現代の字引きには、友達と仲間の区別ははっきり書いてありません。ところが江戸でははっきり使い分けていたようです。
仲と言う字は人べんに中と書きます。間というのはあいだです。つまり仲間とは人と人との間に立って、仲だち(仲立・媒)をする人を指したようです。Intermediatorです。
たとえばA氏とC氏がどうもしっくりこない…という時、B氏が来るとうまくいく、というような場合。(つまりA氏とC氏のお仲間がB氏というわけ)
江戸では「一人一人がみんな仲間になるように心がけるべし!」と躾けられたそうです。日本にも世界にも、友は多けれど仲間少なき時代のようです。仲間作りを奨励した「江戸教育」の良さを、私たちの会が見なおす所以なのです。

江戸の良さを見なおす会 1977年4月講の・抜粋5

本日一番に時間をかけてお話合いをしたい所です。
講の心構えとして、お仲間を作るつもりで参加して頂く事が重要であるということも含め、これから私なりの解釈でお話させて頂きます。
芝講師は、講元としてお側で見ている限り、人生ほとんどの時間を人とのコミュニケ―ションに使っておられました。こんなお話を聞いたことがございます。

「AさんとCさんが親しくなるためにBさんは尽力しますが、Bさんをそっちのけで、AさんとCさんだけでおつきあいをすすめる事を「頭越しの付き合い」と言います。これは仲立ちした方のご苦労に対する感謝が不十分で、身勝手な振る舞いと言ってよいでしょう。」

実際、芝講師はBさんの立ち場になることが多く、やはり心を痛めておいででした。もちろん芝講師は、自分が仲間はずれにされていたと嘆いていた訳ではございません。そういう利己的な方々からは、新たな仲間が生み出されないことが分かっていたからです。
どなたかのご紹介でお知り合いになったのなら、そこから一旦ご紹介して下さった方へ戻り、別な関係を生み出した上で更に新しい関係を増やして行く。二点だけの直線でも三角形でもなく、常に四角形の関係を意識する事で、礼儀と調和の保たれた仲間を増やしていけるのではないでしょうか。

「友達とは人生の贅沢品であり、仲間は必需品である。」と私は考えております。どちらが大事か?などとお聞きになる野暮な方は、この中にはきっといらっしゃらないでしょう。
「一人一人がみんな仲間になるように心がけるべし!」 この江戸の教えは、現代にも生かしたいものでございます。

最後に…

前回途中になってしまいましたが、花見講や月見講の他、江戸しぐさらしい、何か楽しそうな講を皆様にお考え頂き、実現したいと思っております。ご一緒にお考えくださいませ。

代表 和城伊勢

 

八度の契り

はじめに

本日は先ず、講への参加が8度目の方のお祝いをしたいと存じます。
「八度の契り」の教えにのっとり、本日ようやくお互いが信頼に足る人間と判断し、これから長く深いお付き合いが始まるという大変喜ばしい状況になったからです。

「八度の契り(やたびのちぎり)」とは
意味:「人づきあいは、慎重に慎重を重ねましょう」

「ちぎり」とは約束のこと。「八度のちぎり」とは、そのまま「八回の約束」ということになりますが、どんな相手であっても、はじめから自分のことをぺらぺらと教えたりせず、最低でも八度くらいは約束をはたしなさいということです。それくらいつきあってから、ようやく本名を教えるほど、慎重な人づきあいを心がけたのです。

名前はその人自身ともいえる大切なもの。それを容易に教えないことは、自分の身を守るすべでもありましたし、また、本名を知るまでの過程を、相手を見極めるための情報収集の時間と考えていたのです。

現代の個人情報は、江戸時代よりさらに気をつけてあつかわなければならないものですね。ネット詐欺や悪徳商法から身を守るためにも、本名はもとより、住所や肩書きをかんたんに教えたり、軽い気持ちで公表したりせず、八度のちぎりの精神で気をつけるとよいですね。

[和城伊勢著:絵解き江戸しぐさ/本文から]
「花見講」ーーー長屋の花見ーーー
[CD・三遊亭圓楽独演会全集より]

今からお聞き頂くのは、「長屋の花見」でございます。
皆様の方がより詳しいことと存じますが、上方では「貧乏長屋」、江戸では「墨田の花見」として知られて、上方では筋はほぼ同じでも、大家のお声がかりでなく長屋の有志が自主的に花見に出かけるところが、封建的主従関係が町人の社会にも色濃く残った江戸(東京)と違ったところのようです。ご一緒に、話の中に「江戸しぐさ」を探してみましょう。

 — あらすじ —
大家が長屋のみんなを呼んでいるというので、一同は店賃の話だと思い、それぞれの腹を探ってみれば皆一様に店賃が滞っている様子。
仕方なしに大家のところへ言い訳に行くと、大家は「みんなで花見に出掛けようと思って呼びにやったのだ」と言います。
せっかくの大家の提案だったが「ぞろぞろ並んで一回りしたってしょうがない」と店子連中は取りあいません。が、大家が「酒と料理はこちらで用意したから」と言うと、連中の態度は一変。しかし蓋を開けてみると、実は大家が用意したという酒は番茶を煮出して水で薄めた物、蒲鉾は月形に切った大根、卵焼きは沢庵で…

 当初予定の場所を諸事情により変更し、本日は西郷山公園・菅刈公園から目黒川の夜桜探訪として、辺りの歴史に詳しい手島さまにご案内頂くことに致しました。

急に夜桜を愛でながらのご馳走とはいかなくなり、ふと思い出したのが「長屋の花見」です。
お話では「お茶をお酒と思って酔い、沢庵を卵焼きだと思って腹を満たす」のですが、本日は全くの逆。室内にて、「満開の桜の下での夜風」を想像しながら、本物のご馳走を頂きます。

どちらも想像力の豊かな方が、よりお楽しみ頂けるのではないでしょうか。

「浮世絵に見る」本日の花見
 ↑[名所江戸百景・目黒元富士/安藤広重]は、現在の上目黒1丁目8番地付近から富士の方を見て描かれた。
「花見弁当」のご説明
フードコーディネーター:大橋純子先生

— 献 立 —

・タンポポの巻き寿司
・桜鯛
・煮物
・揚物

「花見杯」についてのお話
陶芸家:浅川弥志保先生

この度の花見講で使うよう、浅川先生が杯を 27口(く・こう)も創ってくださいました。
「自分の得意分野で他の方を喜ばせ、他の方が得意なことは謙虚に教えて頂く。」という講の理想の姿を、今回浅川先生が体現してくださいました。講元としてそのお気持ちが非常に嬉しく、またありがたいお申し出でもありました。

お酒をお召し上がりにならない方も、この花見杯での一献にて、ほろ酔い気分になって頂けると存じます。

最後に

本日はお楽しみ頂けましたでしょうか?
今回の準備をしながら、講ではいつもビシっとなさっていた浦島講師が、遊ぶとなったら皆と一緒にとことん楽しんでいらしたお姿を思い出し、とても懐かしくなりました。

江戸の良さを見なおす会としては初めての「花見講」でしたが、「皆でお花見をしましょう」と発案してくださった手島様を始め、大橋先生、浅川先生、清水先生、ご協力頂いたすべての方々に心より感謝を申し上げます。
次の「月見講」の前にも、江戸しぐさらしい、何か楽しそうな講が出来そうでしたら、是非ご提案くださいませ。


代表 和城伊勢

 

あらたまの



「あらたま」とは

芝講師は年賀状に、この「あらたま」を好んでお使いになっておられました。
「あらたま」を調べてみると、
・「新玉」、「粗玉」、「荒玉」、「璞」とも書かれ、「年」「月」「日」「夜」「春」の枕詞としても使われた。
・掘り出したままで磨いていない玉。
とあるように、色々な意味を持つ言葉であることが分かります。

芝講師は「新しい」と「粗い」に共通する部分を新年のご挨拶とすることで、毎年会員の皆様へ「新たまる」ことの大切さをお伝えしたかったのではと、毎年年賀状の季節になると考えてしまいます。

先の不安定な時代の中、私も常にその路を「新ため」ながら前を向いて歩いて行きたいと思っております。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

「あらたま」と「正月」

正月の「正」は「一」を「止」めると書きますね。そんなことから新年を迎えると同時に一度立ち止まってみてはいかがでしょうか。立ち止まって初めて見えることもございます。去年練った今年度の計画も、今ならまだ「新ためる」ことができるかもしれません。

あらたま茶

江戸のころ、お茶は高価なものでした。そのために、法事のように大事な行事以外には、お茶を人にプレゼントしない不文律があったそうです。現在でも、不祝儀の時にお茶をお返しするのはその名残のようです。

江戸の良さを見なおす会が以前出した本にこのような一文がございます。

『-略- そのようなことから「あらたまのお茶」として年始のご挨拶にお茶を贈るときは、江戸ゆかりの方かそうでないかをよく見極めてからにしてください。もしご存じない方に贈ろうものなら、「縁起でもない」と言われてしまい、せっかくの気持ちが逆にアダとなることもございます。』

 [「今こそえどしぐさ第一歩」から抜粋]

一方あらたま茶として喜んでくださった方には、新年の祝いに相応しい、すがすがしい気持ちと共に喉を潤す贈り物が出来るのだとも教えて頂きました。

あらたま寿ぎ(ことほぎ)

あらたまの寿ぎ(ことほぎ)には、長老に盃をすすめ、健康を祝福します。
このお正月、長老とお屠蘇を酌み交わしたご家庭は、どのくらいございましたでしょうか?
我が家でも、会のバッタン様から頂いた屠蘇(10種類)をブレンドし、家族揃って94歳の義父の健康を祝い、更なる長寿をお祈りしました。
故芝講師も「これはナポレオンより美味しい!」と喜んでいたのをふと思い出しました。
本日「新玉ことほぎ」のお屠蘇を持参致しました。是非ご賞味くださいませ。

新玉づくし

ここで皆様方とご一緒に、今は廃れてしまったけれど、懐かしいお正月の行事や振るまい等についてご意見を交わして頂きたいと存じます。

最後に

明日の1月22日は芝講師のご命日です。こうして前日の講でお話させて頂いていると、今でも天国から弟子達を見守っていてくださるような気がしております。
本音を申し上げれば、上壽(百歳又は百二十歳まで))を賀す祝宴までお元気でいらして頂きたかった。芝講師の様に、残った人々から惜しまれる人生を歩みたい。師亡き後も、私の修行は続きます。

代表 和城伊勢