一般社団法人 芝三光の江戸しぐさ振興会
 

日程

うらしま講
  11月14日(水)13時半開始
  場所 大東会館

朗読会
 10月17(水)14時開始
  場所 西岡邸
 
 師範以外の理事の方で参加希 望の場合はメールにてご連絡 下さい

  kinarinoheya@ybb.ne.jp
 

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担当 芥川
 
ことば遊び >> 記事詳細

2018/09/25

ことば遊びとは

| by:管理者
《ことば遊びとは》
  江戸町民の生活の中で必要とされた明日に備えるためのものです。
 当時は、語り、書物などから知識を得ていました。夜の空いた時間を有効に使
い落とし噺を聞いたり、川柳、俳句や物語を作ったり、本を読んだりして、一
日の疲れもとり、多くのことを学びました。そのことが明日への力になりまし
た。

 この度は、明日備の中で、昔話、民話、童話などを取り上げてみたいと思い
ます。このような物語の中から何を考えるかが、大事なことだと思います。

物語で何を言おうとしているのかを、見つけることが江戸しぐさにもなります。

江戸しぐさとは、考え方・知識・行動です。


赤いも                          (山口県)

 昔、働き者だが貧しい母親と男の子が住んでいた。

ある日、母親が男の子に「この世で一番大切なものは何か」と聞いた。
男の子は「お金」と答えた。
母親は「お金ももちろん大事だが、世の中にはもっと大事なものがある」
といった。男の子にはそれが何なのかわからなかった。

やがて母親は病気にかかり亡くなった。亡くなる直前に男の子に
「自分が嫁入りした時に持ってきた赤いもが床下にある。それを畑に植
えるように」と伝えた。
男の子は畑一面に母親の言った通りに赤いもを植えた。小さい男の子に
とって、い
もの世話は大変だったが、赤いもはぐんぐん育っていった。

やがて赤いもが立派に育ったのを見たときに、男の子は母親が言っていた
「世の中にはお金よりもっと大事なものがある」
という言葉を思い出した。
「おっかぁ、お金より大事なものがわかったぞぉ」と夕日に向かって叫んだ。

そしてその後、この村では赤いもを育てるようになった。


ウナギつりのおじいさん                  日本昔話

 むかしむかし、ウナギつりの上手なおじいさんがいました。

ある日、おじいさんがウナギをつりに行くと、とても大きなウナギがかかり
ました。  
あまりにも大きくて重いので、なかなか、さおがあがりません。 
「ええいっ、これでどうじゃ!」

おじいさんが力一杯引き上げると、そのはずみでウナギは川を飛び出して向
こうの山まで飛んで行きました。

「ああっ、せっかくの大ウナギを逃がしたら大変じゃ」

おじいさんはウナギを追いかけて、向こうの山まで行きました。

「おっ、おったぞ。ウナギのやつ、こんなとこまで飛んだのか。
 ・・・おや?」 

よく見ると、ウナギのそばに一頭のイノシシが倒れているではありませんか。

イノシシはここで昼寝をしていたのですが、ちょうどそこへウナギが落ち
てきたの
で、イノシシは運悪く死んでしまったのです。

「ウナギとイノシシが一度に取れるとは、今日は何と良い日だろう」

おじいさんはイノシシをしばって運ぼうと思いましたが、あいにくなわを
持ってきていません。

「なわがないと、イノシシを運べんし。何かなわになる物は?」

辺りを見回すと、ふじのつるがありました。

「よし、このふじのつるをなわにしよう」

おじいさんはふじのつるを両手でつかむと、ぐいっと引っ張りました。

すると、ふじのつるにヤマイモのつるがからまっていて、ふじのつると
一緒にヤマイモがズルズルと抜けたのです。

「おおっ、これは大もうけだ」

おじいさんがヤマイモを数えてみると、十本もありました。

「しかし、こうたくさんあっては持ちきれないな。

ちょうどあそこに、かやがあるから、あのかやで、つと(わらなどを束ねて物を
包んだもの)を作ろう」

 おじいさんはかやをつかむと、草切りガマでザックリとかり取りました。

するとかやのむこうから鳥の羽が見えて、バタバタバタと動きました。

何とかやの中に、キジがかくれていたのです。

「はてさて、今日は何て良い日だ。

ウナギとイノシシ、ヤマイモとキジが一度に取れるなんて」

おじいさんがキジを引っ張り出すと、かやの中に白い物が転がっていました。

「ありゃ、これはキジのタマゴだ」

タマゴは全部で、十三個ありました。

「さて、どうやって持って帰ろうか?」

おじいさんはイノシシを背中に背負い、ウナギを右手に持ちました。

左手にはかやのつとを持っており、つとの中にはキジとヤマイモとタマゴが
入っています。

「こんなには食いきれんから、村人たちにもごちそうしてやろう」

おじいさんは家へ帰る途中、かれ枝のたばをひろうと背中のイノシシの上に
のせました。

ごちそうを作る時の、たき火にするためです。

「ふぅー、重かった」

何とか家にたどり着いたおじいさんは、村中の人を呼び集めました。

「今日は、ごちそうを作るぞ。

 ウナギにイノシシ、キジにヤマイモ、キジのタマゴもたくさんあるから、
 どれでも好きなのを食べてください」

おじいさんは大きななべに、イノシシの肉を入れました。

小さななべには、ウナギを入れました。

そして火を燃やそうとかれ枝を持つと、かれ枝が『クッ、クッ』と鳴きました。

「おや? 何だろう?」

かれ枝を調べてみると、中にイタチが三匹かくれていました。

「おおっ、ウナギにイノシシにキジにヤマイモにタマゴも取れた上に、三匹の
 イタチまで手に入るとは。

 これはきっと、わしがよく働くので、神さまがほうびにくださったにちがい
 ない」

おじいさんはニコニコして、おいしいごちそうを村人たちにふるまいました。



姨捨山(おばすてやま)               (長野市千曲市)

 むかしむかし、信州にひとりの殿さまがいました。この殿さまは、なぜか
お年寄りが大嫌い。ただ嫌いなだけなら、まだ良かったのですが、仕舞には
国中に
「六十歳を過ぎた年寄りは山に捨てるべし」
という、とんでもないお触れを出すほどだったのです。

国の民は皆、弱ってしまいました。しかし殿さまのお触れに逆らうことはで
きません。
六十になったら山に行くしかない…皆そうやって諦めてしまいました。

ある村に母と息子が住んでいました。母の年は六十になり、息子はお触れに
従って山に母を捨てに行かねばなりません。

息子は母を背中にしょって、山の中に入って行きました。

大切な親を捨てなければならない悲しさから、息子は何も言わず、どんどん
山の奥に進んでいきます。

背中にしょわれた母もまた無言のままでした。しかしなぜか不思議なことに、
母は時々、木の枝をポキッと折って、道の上に一本ずつ捨てているのでした。
何のためにそんなことをしているのか、息子は首をひねりましたが、何も問わ
ずに黙々と山道を歩き続けました。

どれほど歩いたことでしょう。見たこともない山の奥のまた奥まで来ました。
辺りは日も暮れかけています。息子は母を背中から下ろすと、ひとことふたこ
と言葉を交わして、その場から立ち去りました。ひとり残された母は、何も言
わず、離れて行く息子をただじっと見つめるだけでした。

ところが、あまりにも山の奥まで来てしまったせいで、息子は帰り道が分から
なくなってしまいました。
あちこちをうろうろしてみたものの、ますます迷うばかりです。
結局息子は、残された母の居る場所に再び戻って来たのでした。

戻って来た息子の姿を見た母は、静かにこう言いました。

「こんなこともあるかと思うて、木の枝を道に落としてきたんじゃ。枝を道し
 るべにして辿(たど)れば、麓に帰れるじゃろ。気をつけてお帰り」

捨てられる身でありながら、それでも息子を思う親心に心を打たれた息子は、
母を捨てるのをやめ、一緒に家に帰りました。

これは殿さまのお触れに逆らうことになります。
息子はそれでも良いと思ったのです。それからしばらく経ったある日のこと。

隣の国から殿さまのところに、使者がやって来ました。使者は隣の国の殿さま
からの手紙を持っていました。

その手紙には
「灰で縄をなって、持って参れ。できなくば、攻め入って滅ぼしてくれよう」
と書かれていました。

殿さまは困ってしまいました。灰で縄をなうなんて、できるはずがありません。
家来もただただ、首をひねるばかりです。

仕方なく殿さまは、灰で縄をなうことができる者がいたら城に来るようにと、
お触れを出しました。

お触れを聞いた息子は家に戻り、母に話して聞かせました。

すると母は平然とした顔で、

「濃い塩水に藁を浸してから、その藁で縄をなうとええ。あとは焼いてしまえ
 ば、縄の形のままで灰になるじゃろ」

と答えたのです。

息子が早速試してみると、見事に灰の縄ができました。灰を崩さないように
そっと持ち上げて、城へ持って行くと、殿さまは大喜び。

しかしまたもや隣の国が使者を送って来たのです。今度の手紙には
「この玉に糸を通せ」
とあり、玉には穴が開いていました。しかし穴はまっすぐに開いているので
はなく、中でくねくねと曲がっていたのです。これではつっかえてしまって、
糸が通りません。

再び息子が母に尋ねると、母は落ち着いて答えました。

「片方の穴の入口に蜂蜜を塗るじゃろ。それで蟻の足に細い糸を結んでな、
 反対の穴から入れてやればええ」

これも息子が試してみたところ、大成功。

しかししかし、二度ある事は三度ある。またまた隣の国が、今度は
「叩かなくても音が鳴る太鼓を作れ」
と言ってきたのです。

これもまた母が、

「アブを何匹か捕まえて来て、太鼓の中に入れればええ」

と簡単に答え、息子が試してみると、確かに叩かなくても勝手に音が鳴る太鼓
になりました。

この太鼓を見て、殿さまは大喜びです。

無理難題を三度も解決するほどの智恵がある国に攻め入っても、勝ち目はない
と判断した隣の国の殿さまは、それ以降、無理を言って来る事がなくなりまし
た。息子は殿さまに大いに褒められ、ご褒美をもらえることになりました。
しかし
息子は褒美は要らないと言います。これら三つの難題を解決したのは、
六十を
過ぎた母でした。

母を山に捨てないで良いようにしてくれと頼んだのです。

殿さまは大いに感心しました。
お年寄りを大切にしなければならないと気付いた殿さまは、お年寄りを山に捨
てろというお触れを取りやめたのです。

こうして国の民は、安心してお年寄りと暮らすことができるようになったのだそう



『往生の薬』(おうじょうのくすり)           ― 山口県 ―
 むかし、むかし、あるところに姑(しゅうとめ)と嫁(よめ)とが一緒に
暮らしていたそうな。

 姑と嫁はたいそう仲が悪かったと。 姑は嫁のやることなすことすべて
寸足らずに思えてならないし、嫁は嫁でこごと屋の姑とこの先ずうっとひと
つ屋根の下に住んでおらにゃならんかと思うと、つらくてつらくて辛棒(し
んぼう)出来んようになっていた。

 あんまり姑が嫁をいびるので、ある日、嫁はお寺の和尚さんのところへ
行って、
「和尚さま、和尚さま、家の姑さんはひどうて、ひどうて、はあ、わたしゃぁ
 一緒におるのがつろうてなりません。出来るものなら和尚さま、姑さんを
 往生させて下さいませんか」
というた。
和尚さん、
「なんぼなんでも、まんだピンピンしとる者(もん)を往生さすっちゅうの
 はな。そら出来んでえ」
というた。 

「そんなら和尚さま、誰れにも知れんように、薬を盛(も)って下さりませえ」

「ほうか、そこまで思いつめたか。うーん。そいじゃぁ、絶対に人に言うんじ
 ゃないで。ええかや。そいからの、にわかに殺すと他人(ひと)が疑うけ
 え、 ぼつぼつ弱ったあげくに、すうっと死ぬるような薬をあげよう。
 まあ七日( なぬか)もすりゃたいてい弱って、枯木(かれき)が倒れる
 ように死ぬるじゃろう。
 そのかわり、七日の間、どんなにつらくとも、せつなくとも、この和尚の
 い うとおりにするかや」
「はい、七日じゃけえ、どんなことでも」
「よしよし、そいじゃぁ、これから七日ほど、ご飯に薬をまぜて食べさすんじ
 ゃ。そいでな、その間は、姑がどんなことをいうても、はい、はいちゅう
 て、いう通りにするんじゃ。どんなに無理をいわれても、はいはい言うん
 じゃぞ」

和尚さん、こう念(ねん)おししたと。嫁は、お寺から帰ってきて、三度三度
のご飯のなかに、薬を混ぜては姑に食べさせたと。
姑から何をいわれても、はいはいで通したそうな。 

 そうして、どうやら七日間が過ぎた。が姑はなかなか弱りそうにない。
それどころか、姑がだんだん無理を言わなくなって、その分優しくなってきた
そうな。

 嫁は、“死ぬる前には仏のようになる”とはよく聞く話だ。姑が幾分優しくな
ってきたのは、死ぬる時期(じき)が近くなってきたからにちがいない、
と思うた。 
また、お寺に行って、和尚さんにこのことを話した。そしたら和尚さん、 
「そうか、そうか」
というて、にこにこして聞いている。

「薬を、もう少し下さいませ」
「それじゃ、もう七日分あげようかの。そのかわり、また、姑が何をいうて
 も、 はいはいって叶えてやるんじゃぞ。こんだぁ、いよいよ薬が効いて
 きて、死ぬ るじゃからの」
「はい」 
嫁は、家に帰ってきて、また、和尚さんのいわれたとおりにしたと。 

そしたら、何日か経ったころ、姑が町へ行って、いい着物を買(こ)うて
きた。姑は嫁に、

「これ、お前に買うてきた。このごろわしにようしてくれているので、
 わしゃ、嬉しくての」
というた。

 たまげた嫁は、なんもかんも放(ほ)っぽり出して、あわててお寺へ行き、
「和尚さま、和尚さま、おおごとでございます。早(は)よう姑さんを助ける
 薬 を作って下さいませ。姑さんを往生させたいなんて、とんでもない考え
 をしち ょりました。早よう、何とかして下さりませ」
というて、和尚さんの衣(ころ も)をつかんで大騒ぎだと。

「よいよい、そんなにあわてなくともよいわ。姑は死にゃぁせん。

 なぁ嫁さんや、お前が姑のいうことを聞かんから、姑はぐちるのじゃ。
 お前がはいはいと返事すりゃぁ、姑もかわいがってくれる。

 なぁ、いいかや。人にしてもらうよりは、先に、人にしてあげなくてはなら
 んのじゃ」

「和尚さま、このたびはそれがようわかりました。これからは姑さんと仲よう
 しま すから、死なんですむ薬を早よう作って下さいませ。今まで、私は心
 に鬼を棲 (す)まわしておりました。なんという恐ろしいことを考えてい
 たもんだか。 ああ、おそろしい」
というて、嫁は泣いたと。 

和尚さん、それを見て、にこにこして、
「泣かんでもよい、泣かんでもよい。姑は死にゃぁせん。あの薬はのう、葛粉
(くずこ)じゃった。滋養になりこそすれ、死にゃぁせん。これからは仲よう
 暮らしなさい」
と、こういうたと。心がはれた嫁は、姑と仲よう暮らしたと。


これきりべったりひらの蓋(ふた)  「これでおしまい しゃんしゃん」



お月さまが見ているよ                   (岐阜県)

 むかしむかし、あるところに、お父さんと男の子が二人で暮らしていまし
た。お母さんが亡くなったので、お父さんは一人で男の子を育てているので
す。
お父さんは男の子をとても可愛がり、山へ仕事に行く時も、町へ出かけ
る時も、
いつも男の子を連れて行きました。

さて、ある月夜の晩の事です。

 町へお使いに行っての帰り道、お父さんがふと横の畑を見ると、おいしそ
うなカボチャが顔を出していました。

 お父さんはそのカボチャが食べたくなり、男の子に言いました。

「おい、誰か見ている者がいたら、すぐに知らせろよ。お父さんが、今から
 カボチャを取ってきてやるからな」

「うん。わかった」

男の子が返事をすると、お父さんは畑の中に入って行きました。

するとそのとたん、男の子が言いました。

「だめ! お父さん、見ているよ」

「えっ!」

お父さんはびっくりして、畑の中にしゃがみ込みました。

でも周りには、人のいる様子がありません。

お父さんは畑から立ちあがって、男の子に言いました。

「何を言っているんだ? 誰も、見ていないじゃないか」

すると男の子が、空を指差して言いました。

「ほら、お月さまが見ているよ」

お父さんが空を見上げると、大きな満月が二人を照らしています。

「そうか、なるほど。確かに、お月さまが見ているよな。・・・ありがとよ、
 お月さま」

お父さんはカボチャを盗むのをやめると、男の子と手をつないで帰りました。



おらびぐら                   (宮崎県)

 昔、九州は宮崎でこんな話が残っているそうじゃ。

人里離れた山奥の谷に、炭焼きの家があった。雨が降る晩のこと、炭焼きの
親父が寝ていて、悪夢にうなされて起きた。その悪夢とは、いい加減な納品
の返事をした炭焼きの親父を、炭屋の商人がひたすら責めてくる夢だった。

親父は悪夢にイライラして手元にあったマスを投げると、小屋の隅に置いて
あった琵琶にコツンとあたった。
この琵琶は前年に旅の坊さんを泊めた時、お礼として貰ったものだった。

再び眠りについた頃、突然「ヨイ!!」と大きな声がした。親父は起きて戸
を開けてみたが雨が降っているだけで誰もいない。
おかしなこともあるもんだと思っていると、また
「ヨイ!」
と声がして、ついいつもの癖で適当に
「おい!」
と返事を返してしまっていた。

すると今度は
「ヨイ!!!」
と、家の中で声がする。気味悪くなってきた
親父は家の中を走り回って返事をしていたが、やがて山姥が姿を現し、
「ヨイ!!!」
と叫んできた。

このあたりでは、山姥の声に返事をしてしまうと必ず声比べをしなけ
ればならず、もし負けてしまうと喰われてしまうと言われていた。
親父は声を限りに山姥の声に返事をしていたが、喉はしだいに渇き、
声がでなくなってきた。

もはやこれまでかと思った親父だったが、親父は置いてあった琵琶で
返事をすることにした。
山姥はずっと声をかけてくるので、もう親父は必死になって琵琶を
弾いて返事をした。
声比べは延々と続き、やがて山姥の気配が遠ざかるのと同時に親父は
気絶した。

翌朝、親父は小川のせせらぎを聞いて目を覚ました。そして
「あぁ、いい加減に返事をするもんじゃない」
と琵琶を抱きしめながら何度もつぶやき続けた。
この世の中で最も恐ろしいのはいい加減な返事をすることなのだという
教訓のお話じゃ。


17:12

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