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担当 芥川
 

江戸しぐさは知って得する「実穫り学」    2017年

江戸しぐさは、歴史的な事実や文献に載っていた事柄を伝えるものではありません。伝えたいのは、現代や未来につなげたい町衆の生き生きとした生活様式や習慣です。そこにおまけとしてまめ知識が入っている。それだけのことなのです。
(江戸しぐさは、多くを学ぶことが出来る学問です、自分が見取って高めて下さい。)

《江戸しぐさは無形の宝》
何かを子供や孫に伝えるという事は、自分の魂が残っていくことです。

『老いる』
老いると言う言葉に抵抗がありました。
でも、最近、老いる事を楽しめるようになりました。恥じる事を知ったせいではないでしょうか。
あと、残り少ない人生だと思えば、見栄を張らなくてもいいし、小さな楽しみを見つければいいのかなと思ったりします。また、もう少し事業もしてみたいと思います。若いときみたいに大それた事業ではなく、楽しめる事業を。
人生を割り切れると、老いての楽しみが湧いてくる気がします。
最近よく、何歳からの楽しみ方とかという本が出ています。読んでみると今までの人生を捨てて新たな人生に向かってのように書いてあります。その通りかも知れません。
でも、プライドが邪魔します。なかなか割り切れないと思います。
 割り切れないのは当たり前です。今までの人生を否定するからです。否定すれば何の為に生きてきたかになります。人間は厄介な動物です。
何故、還暦という言葉を造ったかでしょう。生まれ変わると言う事でしょう。0からの出発です。でも、昔と違い60歳ではピンときません。現在では70歳が江戸時代の還暦と同じではないでしょうか。
古希(70歳)という言葉は、希にという意味です。ここまで長生きできたのですから、余命だと思い少しでも世の中の役に立てるように頑張らなくてはいけません。老いれば若いときと比べ、お金を生みだすことは出来ません。だから精神的な支えになることを考えなければならないと思います。
ごめん、お金は無いけど、時間はあるよ、知恵もあるよ。生かせないかなと、言えばいいのではないですか。プライドをすてなさい。誰も何も思いませんよ。プライドがあることで人は離れていきます。0からの出発ですよ。今までの人生と逆な人生を楽しみませんか。気が楽になります。
私は、逆の人生をチャレンジしています。疲れます。なぜか、過去していなかった勉強をしています。老いて初めて学ぶことの面白さを知りました。
江戸しぐさを学ぶことでいろんな疑問や言葉、歴史も気になり調べました。一つ一つ分かってくると、どんどん追求したくなります。そうすると宝物を見つけたように楽しくなってきます。如何に自分が無知であったか思い知らされました。
勉強が嫌いな子に勉強の楽しみを教えてあげられそうな気がしています。恥を知り、人への見方も変わっていきます。人それぞれ得意な分野が違います。興味を持ち、自分の個性が生かせる物を見つけてあげる事も必要かなと思います。人生が変わるでしょう。良いか悪いか分かりませんが。勉強をもう少ししていたら人生が変わったのに、と、私は思いました。でも、若いときに悔いを残せたから今の楽しみがあるのではと、思っています。
何ごとも、過去は大事です。思い出として楽しみ、未来に向かって生きて行くことが
大切なことだと思います。
悔いのない人生などありません。自分がそれなりに満足できればいいのではないでしょうか。

私の考えた言葉です。
・老いた人には輝きを
・若い人には素敵な人生を
・世の中にはおもき心を

老いるという事を悲しいと思っていませんか。老いるという事は、若い人が体験していない時代を生きたという事です。若い人の知らない時代、もの事をたくさん経験し、体験しています。生き字引です。その様な方々の話しをまとめたのが江戸しぐさです。
歴史の中に生きてきた人たちの知恵であり、こころです。過去が無ければ現代はありえません。老いてからの人生に夢を持ちましょう。

◎老入り(おいいり)
江戸しぐさには、老入りという言葉があります。
隠居して、若い人を育て引き立てる役目のことを言います。
周りを笑わせるユ-モア精神をもち楽しく語りましょう。語る時は年下の人にも敬語でお話ししましょう。

・論語に出てきます。
六十にして耳順う(みみしたがう)(じじゅん)
60歳で他人の意見に反発せず素直に耳を傾ける。
心に余裕を持ちましょう。人の話を聴ける年に成ったんだと誇りを持ちましょう。

江戸しぐさを勉強していると、いろいろ考える事が出てきます。
江戸寺子屋では、「読み手に遊びを残す」と言う言葉があります。少しのミスは大目に見なさい、見つける事を楽しんでくださいという事です。そうしたら「聴き手に遊びを残す」が有ってもいいのではないか。そうすると、もっと気楽に話せますね。何事もおおらかさが一番ではないですか。老いて楽しむのにあまり細かく言わなくてもと思います。
ですが、ある本を読んでいましたら、このような言葉を見つけました。話の場では、「聴き手に理解を求める」と、言う言葉がありました。言葉には対義語があるものですね。

 老いて楽しむのに、まず、何をするか、考えるという事が大切です。私たちは自分の健康は自分で努力して守らなければなりません。運動の好きな人は運動を、運動の嫌いな人は頭を使いましょう。ボケ防止につながります。(家族に迷惑をかけないことが一番です。)

『言葉で遊びませんか。』
良く考えると、身近に使っている言葉で、疑問を感じる言葉があります。少しずつ思い出して調べています。

◎お申し出ください。
「申す」は「言う」の謙譲語です。「お」を付けるのはおかしいのでは、この場合は、「ご提案ください」でいいのでは。

◎ご馳走。
馳走は、食事などをもてなすこと。世話をする。面倒を見る。走りまわること。
お客様はお礼の言葉として「ご馳走様」となります。「今日のご馳走は何ですか・今日のご馳走は何々ですよ」おかしくないですか。
「いただきます」「ごちそうさま」はどうでしょう。これは生活に根付いた「感謝」の言葉と「お礼」の言葉です。もとは、神道の教えですね。日本独特の言葉です。

◎おもてなし。
もてなしは、漢字で書けば「持て成し」持って成し遂げるです。もてなす側が、今日のおもてなしは、何々とかいうのはおかしくないですか。受けた方がお礼を込めて言う言葉ではないでしょうか。
                                  おしまい



「もてなし・もてなす」について俳人 長谷川 櫂さんの言葉より
最近の「おもてなし」の大洪水を前にして「ちょっとした違和感」を覚える人もいるのではないでしょうか。たしかに「おもてなし」は大事だけれども、日本人の「おもてなし」って、こんなものだったのだろうかと疑問に思う人もいるのではないでしょうか。
 手もとの辞書で「もてなし」あるいは「もてなす」を引けば、「歓待する」「馳走する」(『広辞苑』)ことと書いてあります。別の辞書にはもっと詳しく「心をこめて客に応対する」「客に茶菓や酒食を供すること」(『新明解国語辞典』)と説明してあって、「家をあげてもてなす」「茶菓のもてなし(ふるまい)を受ける」という例文まで載っています。
 ここからまずわかるのは「もてなし」という言葉が公認された誰が使ってもかまわない日本語であるということです。
じつはこの「もてなし」という言葉には「秘密のコード」、いわば「極意」があります。それは何かといえば、「もてなし」「もてなす」という言葉はたしかに辞書にも載っている、誰が使ってもいい日本語ですが、めったに口にしてはいけないという「コード」です。
 どういうことかといえば、「もてなし」とは辞書にもあるとおり、客にお茶やお菓子や酒や料理を出して歓迎することですが、「これがおもてなしですよ」とこれ見よがしに口に出していう言葉ではないということです。
 とくにもてなす側が「これが私どものおもてなしです」と口にしたとたん「もてなし」でなくなります。なぜならば押し付けがましくなるからです。「押し付け」は当然、相手に負担をかけ、窮屈にしてしまいます。つまり客を「もてなす」といいながら、そのじつ相手を窮屈にさせ、結局「もてなし」になっていないことになります。
このチグハグが最近の「おもてなし」ブームの違和感のもとになっているようです。「もてなし」という言葉はほんとうは口に出してはいけない言葉なのです。最近の「おもてなし」ブームはこのもてなしの「コード」を破っているわけです。
 「もてなし」と似た言葉に「おごる」という言葉があります。「晩飯をおごってもらった」「今日のところは俺におごらせてくれ」というふうに今もよく使う言葉です。この「おごる」という言葉は「もてなし」と違っておごる側が使っても、おごられる側が使っても一向に問題がありません。というのは「おごりたかぶる」という言葉があるとおり、もともと「権勢を誇示する」という意味だからです。
 今の「おもてなし」ブームは「もてなす」という言葉をこの「おごる」に近い意味で使っていることになります。

 では本来の「もてなし」とはどういうものなのでしょうか。一言でいえば主が「もてなし」と口でいわずに行動で「もてなす」ということです。お茶やお菓子、酒や料理を出すにしても「もてなし」とはわからないにように出す。
 それを主の「もてなし」であると感じるのは客の側なのです。しかも客が主の「もてなし」を感じるのはその場とはかぎりません。翌日、目覚めたときかもしれないし、何日後かあるいは何年後かに「あれはあの人のもてなしだったのだ」とはじめて気づくかもしれません。それでいいのです。これが日本人の「もてなしの心」であり、日本の「もてなしの文化」であったはずです。
 「もてなし」という言葉があるからといって、「おもてなし」「おもてなし」と口にしていいというものではないのです。口にすればするほど「もてなし」はこれ見よがしになり、表面だけのものになり、品がなくなります。
 「もてなし」と口にしないからこそ客に「もてなしの心」が伝わるのです。その「もてなしの心」が伝わるとき、客は主を「奥ゆかしい」と思うのです。このような「もてなしの心」が今の「おもてなし」ブームからすっかり抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。

 日本の「もてなしの文化」は茶道と深いかかわりがあります。千利休にはこれみよがしの「もてなし」を戒める逸話があります。
 あるとき、利休が大坂から京へ上る途中、知り合いの茶人の家に立ち寄ります。もちろん亭主は利休を喜んで迎えます。まず庭の柚子を捥いで柚子味噌にしてこの「不意の客」である利休に出しました。
 ところが、そこでやめておけばよかったのですが、この茶人は酒を出してから「大坂からの到来物(頂き物)」といってふっくらとした 肉餅(今の蒲鉾)を出しました。それまで上機嫌だった利休はこの肉餅(蒲鉾)を見ると、たちまち興ざめして酒の途中で帰ってしまったというのです。(『茶話指月集』)
 なぜ利休は興ざめしたのでしょうか。蒲鉾は当時はたいへん贅沢な食べ物でした。この茶人はその夜、利休がここに立ち寄ることを誰からか聞いて蒲鉾を取り寄せていたことに利休は気づいたからです。
 客を「もてなす」にはあり合わせの柚子で十分であり、贅沢な蒲鉾など取り寄せる必要はなかったのです。ほんとうの「もてなし」が物や言葉の次元ではなく、心の次元のものであることを伝える話です。
 「もてなし」のほかにも日本語の中には辞書には書いてない「秘密のコード」をもつ言葉があります。

 このような「コード」を知ることが日本文化を知るということであり、目に見えない「コード」まで伝えることが日本文化を海外に紹介するということです。
 東京五輪を機に日本を訪れる外国の人々にも、これみよがしの「おもてなし」でなく、「もてなしの心」を伝えたいものです。

◎お世辞
世辞とは、会話につながる一言が言えるようになって一人前。「こんにちは」「こんばんは」挨拶の語尾が「は」で終わるのは、その後に一言、相手の様子を気遣ったり、日和の話をしたり、次の会話につながる言葉、つまり世辞をつけた名残(なごり)です。
お世辞となると、丁寧語の「お」ではなく心にもない話しになってしまいます。
お世辞とは、べんちゃらと言います。べんちゃらを丁寧にいいますと、おべんちゃらになります。変ではありませんか?
日本語の変化です。
◎お酒、おビール
おウイスキー、おワイン、お焼酎などは「お」を使いません。何故でしょうか?

これは敬語・尊敬語・謙譲語・丁寧語が複雑になっていると思います。

誤解されてつかわれている言葉。
・一姫二太郎(源氏物語で太郎は長男の意味)
・立つ鳥跡を濁さず

間違った意味で覚えている人が多いことわざ
・馬子にも衣装
・情けは人のためならず
・濡れ手で粟
・かわいい子には旅をさせろ(獅子の子落とし)
・犬も歩けば棒にあたる

商売  商はお客様目線で見る
    売は価値のあるものを出す
売買  買は価値のある物を手に入れる
・商売とは感動を与える事。売る前のお世辞より打った後の奉仕。
これこそ永久の客をつくる。
◎何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろうとするこの熱意がハシゴを思いつかせ階段を作りあげる。

【素敵なことば】
陶芸家 河井寛次郎
「鳥が選んだ枝、枝が待ってた鳥」

・去年今年(こぞことし)
新年を迎え、過ぎ去った年と新しい年に感慨を込めて言う言葉。

・六十の三つ子(老い)
「老いて再び稚児になる」
人間、六十、七十、八十と歳を重ねるに従い、聞き分けが無くなったり、退行したりする現象が現れてくる。この「宿命」は、家族とは何か、人間とは何か、人生とは何かを深く考えさせてくれる。

・桃栗三年柿八年柚子は九年の花盛り、枇杷は九年でなりかねる、梅は酸い酸い十三年
(何事にもそれ相応の年数がある)

・花盗人
桜の花の美しさにひかれ、思わず一枝折り取ってしまった人。

・花いかだ(弘前公園)
桜の花吹雪が舞う様子と散った桜の花びらが水に浮かんで流れていく姿。

・花霞
遠くの所に群がって咲く桜の花が、一面に淡く霞がかったように見えるさま。

・花笑み・花咲み(はなえみ)
花が咲く事、蕾がほころびること、
人が微笑んでいるのを、咲いた花にたとえていう言葉。

・花冷え
桜が咲く頃の一時的な冷え

・花曇り
天候が薄くぼんやり

・花守り
桜の花を守る人

・春日和
桜の咲く頃

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿

★「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の故事
 ある時、
 宮殿の前の梅が枯れてしまった。
 そのときの天皇、村上天皇は
 これを残念に思い、
 かわりの木を探させていたが、
 ある屋敷で良い梅の木を見つけて
 それを勅命で宮殿に献上させた。 
 そしてその木を植えてみたところ、
 屋敷の女主人の書いた歌が「紀内侍(きのないし)紀貫之の娘」
 紙で結びつけてあり、

 「勅(ちょく)なれば
  いともかしこし
  鶯(うぐいす)の
  宿はと問(と)はば
  いかがこたえむ」 

 とあった。  
 歌の心を知る天皇は、
 すぐにこの梅の木を
 元の屋敷に返したという。
  (ほのぼのとしたお話です)

都々逸
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす。(山家虫鳥歌)
びんのほつれは枕のとがよ 顔のやつれは主のとが
お月さまさえ泥田の水に 落ちて行く世の浮き沈み(頼山陽)
三千世界の烏をころし 主と朝寝がしてみたい(高杉普作)
鐘がつらいか烏がいやか 帰る帰るの声がいや
人の女房と枯木の枝は 登りつめたら命がけ
女房にゃ言えない仏が出来て 秋の彼岸のまわり道
七っ八っからイロハを習い ハの字忘れてイロばかり
口でけなして心でほめて 人目しのんで見る写真
いやなお客の親切よりも 好いたお方の無理がよい
遠くはなれて咲く花待てば 散りはせぬかと気は紅葉
あきらめましょうよ どうあきらめた あきらめきれぬと あきらめた
富士の山ほど千両箱積んで それをそばから使いたい
お酒飲む人しんから可愛い  飲んで管巻きゃなお可愛い
夢に見るょじゃ惚れよがうすい 真に惚れたら眠られぬ
信州信濃の新ソバよりも 私しゃお前のそばがよい
およそ世界にせつないものは 惚れた三文字に義理の二字
夢になりとも逢わせておくれ 夢に浮名はたちゃすまい

【自明ことわざ】
・犬が西向きゃ尾は東
・雨の降る日は天気が悪い

【重言】(じゅうげん・じゅうごん)「重ね言葉」
・馬から落ちて落馬する
(近松門左衛門作「槍の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」
・道に迷って迷子
・人々がぞくぞく集まってきた
・船にご乗船いただき
・永久に不滅です。
・朝に朝食をとる
・頭が頭痛
・後(あと)で後悔(こうかい)する。
・甘いスイーツ
・あらかじめ予定する。
・言いなりどおり。
・石のつぶて。
・いちばん最後。いちばん最初。
・いちばんベスト。
・一切(いっさい)(または、すべて)一任(いちにん)する。
・古の昔(いにしえのむかし)

【最も古い金言(きんげん)・ことわざ
(処世上の手本とすべき内容を持つ優れた言葉)
・和を以て貴しとす
「ことわざ」
・大海は芥を択ばず
  大人物は寛大で、人を分け隔てなく、良く受け入れる事
・鷹は飢えても穂は摘まず
  肉食の鷹は、いくら飢えていても稲穂はついばまないということから、気高くて節義のある人は、どんなに困っていようとも不正には手を染めない例え
・水広ければ魚大なり
  立派な君子のところには賢明な臣下が集まる。大きな魚は小川にはいない。魚が大きく育つには広大な川が不可欠である。人が大きなことを成し遂げるには環境や場所が良くなければならない。(松下村塾はいかに)
・衣食足りて礼節を知る
  生活の糧を求めるのに必死だと、礼節など身につける余裕はない。衣類・食料などに困らないようになり、余裕が出て来た人は礼儀や節度のある行動が出来るようになる。

「コロンブスの卵」
・スペインの航海者コロンブスが大西洋横断祝賀パーティの席上「航海していれば陸にぶつかるのは当たりまえ」と嫌味をいわれた。それではとコロンブスが「卵をテーブルの上に立てられるか」と問題を出すと、誰もできない。そこでコロンブスは卵の尻の部分をつぶして立てて見せた。「簡単に思える事も、最初にそれを思いついて成し遂げるのはとても難しい」。困難に思われていることでも、発送次第で可能になる。

【言葉】
◎「言葉じょうず」「言い方じょうず」
相手と直接的な対決を避けるちょっと遠回しな表現や、あえてピントをぼかした巧みな表現、相手を傷つけないようにと気遣うあたたかな物言いをしていたものである。
「袖振り合うも多生の縁」
すれ違いざまに一言、さりげなく言葉をかける。
言葉とは、もともと自分の思いを相手に伝える手段。相手への思いがこもった言葉が聞かれなくなったというのは、誰もが「心遣い」や「心配り」をおろそかにするようになったという事だ。
◎「言葉なさけ」
津軽の言葉の習慣。一言ことばをプラスにする事。例えば、お帰りなさい。寒かったでしょうとか、暑かったでしょうと、一言くわえると相手の心が温まる。相手がほほえめば、自分もほっと心が和む。「言葉なさけ」は、相手をおもいやり、気持ちを和ませる、元気にさせる言葉。美しく聞こえる表現を選ぶ。

大勢が現在を作り、少数が未来を創る。
なんとなく江戸しぐさの言葉が浮かびました。
この様な勉強をして何になるのか。日本人の忘れかけている魂を呼び戻さねばと思いながら頑張っている。でもどうだろう。いいことはしていてもなかなか振り返ってもらえない。
その時、ふと思い出したのが、松下村塾の事だ。少数の人達が大きな志を持ち、新しい時代を作った。世界に向けてはそれで良かった。だが国内に向けては大事な文化を失った。私たちはその文化を取り戻そうと動いている少数です。仲間がいれば、未来は作れる。その様に思います。

あいづち上手は聴き上手
あいづち上手は「うなづく」「声を出す」「共感、同調する」「繰り返す」「一言感想を伝える」「質問する」

『ものの言いよう』とらのまき174ページ
ものは言いようで丸くも四角にもなる。感情のおもむくままに喋ってはいけない。身の破滅につながることもある。言葉は選んで使いたい。
●創作漢字 「言」に〇で囲いさらに□で囲む
・沈黙は金 雄弁は銀(言わぬが言うにまさる)
やたら喋るより、黙っているほうがよい。よどみなく話せることも大事だが、黙るべき時を知ることは、もっと大事だという事。
・言わぬが花
言ってしまえばそれまでだが、言わないところに味がでる。
・物言えば唇寒し秋の風
人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえ、また、余計な事を言えば災(わざわ)いを招く。
・ご無用に
「いらない」という意思をやんわり伝える。
・ご放念下さい
相手の過度の気遣いが気になったら。
・末席を汚す
集団組織のなかで自分をへりくだって表現する。

〇感動は一日10回は感じなさい。
 朝目覚めた時、おはようと挨拶したとき、食事を頂いたとき、出かけて人と会った時、昼食、夕食、お風呂頂いたときなど、すべての行動に対して感謝、感動を忘れてはいけない。
 悲しみを知らない人はいない。
 いいじゃないの幸せならば。
 恋はしたことない、皆に物に恋している。

歌・句・詩
和歌    5-7-5 上の句  7-7 下の句  「恋歌」「やまとうた」
短歌=和歌 5-7-5-7-7  人間の心の在り様を表現
俳句    5-7-5  季語を入れる
川柳    5-7-5  自由によむ
狂歌    5-7-5-7-7  社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込む
都々逸   7-7-7-5 細分すると3・4、4・3、3・4、5  男女の情愛などを歌う
詩     自分の心のまま書けばよい。好きなものは好き、理屈ではない。

はきものを そろえると 心もそろう(藤本幸邦(こうほう)長野県円福寺の住職)
はきものを そろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう

ぬぐときに そろえておくと
はくときに 心がみだれない

だれかが みだしておいたら
だまって そろえておいてあげよう

そうすればきっと
世界中の 人の心も そろうでしょう

「はきものをそろえる」という言葉には、「脚下照顧」(自分の足元を見よ、
自分の行いを見よ)と言う意味と、もう一つ深い意味があるのです。人間は
すべて二つでバランスをとっているのです。右足と左足の二つがあるから歩く事ができるのです。目も二つ、耳も鼻の穴も二つ、手も二つでしょう。脳も大脳・小脳二つ。この世の中は全部二つ、二つを揃えることが大切なのです。「口は一つでしょう」という人がいましたが、入る口と出る口があるのです。善があれば悪がある。肉体があるから精神があるのです・・・

 

本・CD

〇「おもき心」の出版においては、いろんな方々の支援をいただきました。
  
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